改訂新版 世界大百科事典 「四十八体仏」の意味・わかりやすい解説
四十八体仏 (しじゅうはったいぶつ)
法隆寺から皇室に献上された飛鳥時代から白鳳時代にかけての小金銅仏群の総称。総数は52具59軀あり,内訳は如来立像8軀,如来座像3軀,如来倚像2軀,菩薩立像32軀,菩薩半跏像10軀,摩耶夫人および天女像4軀である。像の由来は,法隆寺の《金堂日記》によると,1078年(承暦2)10月8日,橘寺にあった49体の小仏像を法隆寺に移し,その中の44体を金堂内の大厨子に納め,在銘像1体は西壇上に置き,4体の灌仏具は仏生会料として別置されたという。48体にはこのとき橘寺から移置されたもののほかに,法隆寺伝来の像もいくつか混入したようである。
明治維新当時,法隆寺は寺田を上地して寺禄もなくなり,参詣人も少なく,まったく衰微した。このため宝物の修理はおろか管理も十分にできない状態であった。1875年文部省の主催で古美術の大博覧会が,東大寺大仏殿を会場として開かれた。それは正倉院宝物や法隆寺宝物を主体とするものであったが,このおりの法隆寺出品宝物を宮内省に献上しようという話が持ち上がり,翌76年11月に宮内省へ献上願が提出された。78年2月献納が決定し,酬金として宮内省より法隆寺へ1万円が下賜された。法隆寺献納宝物は総数157点で,四十八体仏もその一部であり,これらは現在,東京国立博物館に保管されている。
四十八体仏は飛鳥時代から白鳳時代までの,日本でもっとも金銅仏が多く製作された時代のもので,優品が多く,多様性に富み,かつ保存状態がきわめて良好であり,さらに年記銘,銘のあるものが含まれ,金銅仏の研究に欠くことのできない貴重な作例といえる。
→金銅仏
執筆者:光森 正士
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報