橘集落の西端にあり、県道を隔てて
〈大和・紀伊寺院神社大事典〉
創建については明らかでないが、法隆寺伽藍縁起并流記資財帳や「法王帝説」は
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奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺。正式には仏頭山上宮皇院(じようぐうおういん)菩提寺といい,通称橘寺または橘樹(たちばな)寺と呼ばれる。聖徳太子建立7ヵ寺の一つ。606年(推古14)太子が勝鬘(しようまん)経を講じたとき,蓮華が降ったので寺を建てたと伝える。763年(天平宝字7)に封50戸,795年(延暦14)に稲2000束を施入されて,かなりの規模を有したようで,平安中期には大講堂,金堂,塔,灌頂(かんぢよう)堂,太子殿などの堂舎が存した。しかし1506年(永正3)多武峰(とうのみね)の僧兵に焼かれてより寺運衰退したが,明治維新前後に再興されて今日におよぶ。1953-57年に発掘調査が行われ,創建当初は東面する四天王寺式の伽藍(がらん)配置であったことが判明した。寺宝には聖徳太子座像(室町時代,重要文化財),日羅立像(貞観時代,重要文化財),如意輪観音座像(藤原時代,重要文化財)などがある。
執筆者:中井 真孝
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奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村にある寺。仏頭山上宮院菩提寺(ぼだいじ)の俗称。天台宗に属する。聖徳太子誕生地と伝えられ、606年(推古天皇14)聖徳太子が推古天皇のために『勝鬘経(しょうまんぎょう)』を講ぜられたとき、天から蓮華(れんげ)を降らせた奇瑞(きずい)にちなんで創建されたといわれる。聖徳太子建立七か寺の一つに数えられ、盛時には諸堂完備し、宝物も多くあったが、681年(天武天皇10)被災、中世はことに衰え、1864年(元治1)ようやく現在の堂宇を復興した。
承暦(じょうりゃく)年間(1077~81)宣旨により寺宝の玉虫厨子(たまむしずし)、金銅四十八体仏などを法隆寺に移した。境内(史跡)には参道わきに塔礎石が残り、二面石とよばれる石像が太子殿の左方にある。文化財も多く、日羅(にちら)像といわれる平安初期の木像、土佐光信(みつのぶ)筆という『太子絵伝』などが国の重要文化財に指定されている。
[若林隆光]
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