橘寺(読み)タチバナデラ

デジタル大辞泉 「橘寺」の意味・読み・例文・類語

たちばな‐でら【橘寺】

奈良県高市郡明日香あすか村にある天台宗の寺。正称は仏頭山上宮皇院菩提寺開創推古天皇14年(606)で、聖徳太子建立七か寺の一。太子誕生の地、また、勝鬘しょうまんを講じた地と伝える。現在の堂宇は元治元年(1864)再興のもの。

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精選版 日本国語大辞典 「橘寺」の意味・読み・例文・類語

たちばな‐でら【橘寺】

  1. 奈良県高市郡明日香村橘にある天台宗の寺、菩提寺の別称。山号は仏頭山。聖徳太子誕生の地で太子創建の七寺の一つと伝えられる。古くは六十六の堂塔をそなえた大寺であったが中世以降は衰微し、江戸時代初期には講堂を残すだけとなった。現在は元治元年(一八六四)再興の本堂(太子殿)・経堂・観音堂護摩堂などがある。志度道場。橘樹(たちばな)寺。

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日本歴史地名大系 「橘寺」の解説

橘寺
たちばなでら

[現在地名]明日香村大字橘小字往生院

橘集落の西端にあり、県道を隔てて川原かわら寺跡に対する。正式には仏頭山上宮皇じようぐうおう菩提ぼだい寺といい、通称は橘樹たちばな寺または橘寺。天台宗。本尊は木造聖徳太子坐像(室町時代、国指定重要文化財)。境内は国指定史跡。

〈大和・紀伊寺院神社大事典〉

〔聖徳太子建立伝承〕

創建については明らかでないが、法隆寺伽藍縁起并流記資財帳や「法王帝説」は法隆学問ほうりゆうがくもん寺・四天王してんのう寺・中宮ちゆうぐう尼寺・蜂岳はちおか(広隆寺)池尻いけじり尼寺(法起寺)・葛城尼寺とともに聖徳太子建立の七寺の一つとして橘尼寺をあげている。天智天皇五年の作とされる野中やちゆう(現大阪府羽曳野市)弥勒像銘に「(栢カ)寺智識」とあるのをこの寺のこととすれば、当時の橘寺の存在が確かになるが、文献上の初見は、「日本書紀」天武天皇九年四月条に「橘寺の尼房に失火して、十房を焚く」とあるもの。

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改訂新版 世界大百科事典 「橘寺」の意味・わかりやすい解説

橘寺 (たちばなでら)

奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺。正式には仏頭山上宮皇院(じようぐうおういん)菩提寺といい,通称橘寺または橘樹(たちばな)寺と呼ばれる。聖徳太子建立7ヵ寺の一つ。606年(推古14)太子が勝鬘しようまん)経を講じたとき,蓮華が降ったので寺を建てたと伝える。763年(天平宝字7)に封50戸,795年(延暦14)に稲2000束を施入されて,かなりの規模を有したようで,平安中期には大講堂,金堂,塔,灌頂(かんぢよう)堂,太子殿などの堂舎が存した。しかし1506年(永正3)多武峰(とうのみね)の僧兵に焼かれてより寺運衰退したが,明治維新前後に再興されて今日におよぶ。1953-57年に発掘調査が行われ,創建当初は東面する四天王寺式の伽藍(がらん)配置であったことが判明した。寺宝には聖徳太子座像(室町時代,重要文化財),日羅立像(貞観時代,重要文化財),如意輪観音座像(藤原時代,重要文化財)などがある。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「橘寺」の意味・わかりやすい解説

橘寺
たちばなでら

奈良県高市(たかいち)郡明日香(あすか)村にある寺。仏頭山上宮院菩提寺(ぼだいじ)の俗称。天台宗に属する。聖徳太子誕生地と伝えられ、606年(推古天皇14)聖徳太子が推古天皇のために『勝鬘経(しょうまんぎょう)』を講ぜられたとき、天から蓮華(れんげ)を降らせた奇瑞(きずい)にちなんで創建されたといわれる。聖徳太子建立七か寺の一つに数えられ、盛時には諸堂完備し、宝物も多くあったが、681年(天武天皇10)被災、中世はことに衰え、1864年(元治1)ようやく現在の堂宇を復興した。

 承暦(じょうりゃく)年間(1077~81)宣旨により寺宝の玉虫厨子(たまむしずし)、金銅四十八体仏などを法隆寺に移した。境内(史跡)には参道わきに塔礎石が残り、二面石とよばれる石像が太子殿の左方にある。文化財も多く、日羅(にちら)像といわれる平安初期の木像、土佐光信(みつのぶ)筆という『太子絵伝』などが国の重要文化財に指定されている。

[若林隆光]

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百科事典マイペディア 「橘寺」の意味・わかりやすい解説

橘寺【たちばなでら】

奈良県高市郡明日香(あすか)村にある天台宗の寺。上宮王院とも。聖徳太子建立七ヵ寺の一つ。太子の生地と伝え,太子が606年にこの寺で勝鬘(しょうまん)経を講じたと伝える。鎌倉期までは堂塔伽藍(がらん)が整っていたがその後衰退し,明治維新前後に復興。1953年―1957年の発掘調査で四天王寺式の伽藍配置であることが分かった。聖徳太子座像,日羅像等が著名。
→関連項目明日香[村]

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旺文社日本史事典 三訂版 「橘寺」の解説

橘寺
たちばなでら

奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺
聖徳太子の建立と伝えられる。近年の発掘調査で,その塔址から若草伽藍 (がらん) と同系統の中心礎石が発見され,この寺が飛鳥時代の創建であることが証明された。聖徳太子関係の文化財がある。法隆寺の四十八体仏・玉虫厨子(国宝)は,もとこの寺にあったという。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「橘寺」の意味・わかりやすい解説

橘寺
たちばなでら

奈良県中部明日香村にある天台宗の寺。仏頭山上宮院菩薩提寺と号し,橘尼寺ともいう。聖徳太子が『勝鬘経』を講じたとき,この地に蓮華が降ったので建立させたという。

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デジタル大辞泉プラス 「橘寺」の解説

橘寺

奈良県高市郡明日香村にある天台宗の寺院、仏頭山上宮皇院菩提寺の俗称。推古天皇時代、聖徳太子が自身の生誕地に創建したなどの説があるが、実際の創建年は不詳。

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