雄型の原型に薄い金属の板をのせ,鎚起(ついき)させて原型を浮彫状に写しとって作る仏像をいう。日本では主に白鳳・天平時代に限って製作された。鎚鍱(ついちよう)仏ともいう。その製作方法は,鋳銅製の浮彫原型に厚さ0.5mmほどの銅板をのせ,鎚で上からたたいて原型の凹凸を銅板に打ち出す。その際,細部を正確に写しとるために,鉛等の軟らかいものを置いてたたいたと考えられる。こうしてできた浮彫状の銅板の細部を鏨(たがね)等で押しつけ,より原型に近づけ,鍍金を施し,髪部等を彩色して仕上げる。一辺20~30cm程度のものが普通である。千仏像等で原型がごく小さい場合には,銅板の裏から雄型を強く打ちつけて型を写しとる方法もあったらしい。
この技法による仏像の作例はインドには知られず,文献上では中国東晋の太和年間(366-371)に〈金牒千像を造る〉とあるのが初見で,宋代475年には〈釈法献が亀茲国金鎚鍱像を得る〉(ともに《高僧伝》)とある。遺品としては中国隋代6世紀末ころに比定される五尊仏像(白鶴美術館ほか)が最も古い。日本には7世紀に大陸からこの技法が伝わったと考えられ,とくに天智朝(662-671)以後盛んに製作された。その様式は唐代初期の影響を強くうけたものであり,原型が請来されたことも考えられる。最盛期は7世紀末から8世紀初めで,奈良時代にも引き続き作られたがしだいに行われなくなり,平安時代以後の作例は,文献,遺品ともに知られない。
一つの原型から複数の像を比較的容易に作ることができ,またいくつかの原型を組み合わせて変化に富む図柄を表現できることに特色がある。用途としては,板に貼り付けて厨子内にまつり,あるいは同一の如来形を多数作って千仏として厨子の内側等の荘厳に用いた。前者は法隆寺の厨子入り阿弥陀三尊および二比丘像に,後者は同寺《玉虫厨子》にその例が見られる。また《正倉院文書》によれば,734年(天平6)東大寺七重塔初層の荘厳用に打出像50軀が功110人によって作られたことが知られ,その速成のほどがわかる。主な遺品としては前述のもの以外に,法隆寺献納宝物(東京国立博物館保管)中に11点,唐招提寺の吉祥天立像等があり,鋳銅製原型が正倉院その他にある。なお,押出仏と技法,用途,製作時期において関係の深いものに塼仏(せんぶつ)がある。
執筆者:副島 弘道
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…地金は純銅や銀が多く用いられる。奈良時代に盛行した押出仏(おしだしぶつ)も鍛金の一種である。鉄床のかわりに銅鋳製の仏像型を置き,その上に薄い銅板をのせ,上からたたいて型になじませ完全に写しとってからはずしたもので,一つの原型から同じ文様を押し出した薄板を何枚も作りだすことができる。…
…さらに塑像に麻布をかけ,漆を塗って乾燥し,内部の粘土を抜く脱活乾漆像も,金銅仏に比すれば製作は容易である。また塼仏の手法を金属に置き換えたのが押出仏(おしだしぶつ)である。鋳型の上に薄い銅板をのせ,鎚によって打ち出すもので,これも量産に適している。…
※「押出仏」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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