改訂新版 世界大百科事典 「因州紙」の意味・わかりやすい解説
因州紙 (いんしゅうがみ)
因幡国(現,鳥取県東部)産の手すき和紙の総称。古代において鳥取県は伯耆と因幡の二つの国に分かれていたが,奈良時代の正倉院文書や平安時代の延喜式によると,ともに有力な産紙国であった。しかし,しだいに伯耆は鉄,因幡は紙と代表的な産物が分かれていった。中世の中央の文献に因幡紙の名は出てこないが,中世末期の事情を反映している江戸初期の《毛吹草》には,用瀬(もちがせ)町(現,鳥取市)家奥の椙原(すぎはら)(杉原紙)と河原町(現,同市)曳田(ひけた)の鼻紙が因幡の名産とされている。《紙譜》(1777)には,各種の奉書と杉原紙(地肌が美しいと評判)とともに,小半紙,小杉,障子紙などの日用品があげられている。当時の因州紙は,佐治谷と日置谷,すなわち現在の鳥取市の旧佐治村と旧青谷町を中心としてすかれていた。鳥取におけるミツマタの栽培は天明年間に始められ,天保年間に本格化したと伝えられるが,1886年には,ミツマタの生産額はコウゾの約3倍に達している。ミツマタの巻紙である〈因州筆切れず〉は,紙肌が平滑で書きやすく,優美な美しさで広く世に知られた。その後もミツマタのコピー紙などをすいていたが,複写機の普及で行きづまり,昭和30年代の前半から画仙紙に転換した。これは地元で〈草〉とよぶ稲わらや麦わらと各種の木材パルプを主要な原料とし,書家の求める墨色,にじみ,筆のすべり等により,配合を変化させる。因州の画仙紙は,全国生産の約70%を占め,その銘柄はおよそ150種に及び,旧佐治村と旧青谷町河原ですく。なお,周囲が画仙紙をすくなかで,旧青谷町山根は楮(こうぞ)紙をすく特異な存在で,民芸紙としての染紙や楮画仙(コウゾ30%に木材パルプ70%)などをすいている。
執筆者:柳橋 真
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報