日本大百科全書(ニッポニカ) 「用瀬」の意味・わかりやすい解説
用瀬
もちがせ
鳥取県東部、八頭郡(やずぐん)にあった旧町名(用瀬町(ちょう))。現在は鳥取市の南端部を占める地区。旧用瀬町は1918年(大正7)町制施行。1955年(昭和30)社(やしろ)、大村(おおむら)の2村と合併。2004年(平成16)国府(こくふ)町、河原(かわはら)町、気高(けたか)町、鹿野(しかの)町、青谷(あおや)町、福部(ふくべ)村、佐治(さじ)村とともに鳥取市に編入。JR因美(いんび)線、国道53号(智頭(ちず)街道)、482号が通じる。西部は岡山県と接する。中心の用瀬は千代(せんだい)川とその支流佐治(さじ)川の合流点に発達した谷口集落で在方商業町。天正(てんしょう)年間(1573~1592)には景石(かげいし)城があり、近世は智頭街道の宿場町。産業は農林業が主体であるが農家人口は減少傾向にあり、兼業化が進んでいる。米作のほか、ナシ、カキ、ネギ、茶を栽培する。人形(ひとがた)に穢(けがれ)を託して川に流す流し雛(ながしびな)の「用瀬のひな送り」(県の無形民俗文化財)の行事や、県保護文化財絹本着色釈迦(しゃか)十六善神(ぜんじん)像、県天然記念物犬山(いぬやま)神社社叢(しゃそう)などがある。
[岩永 實]
『『用瀬町誌』(1973・用瀬町)』