日本大百科全書(ニッポニカ) 「原子論的国家観」の意味・わかりやすい解説
原子論的国家観
げんしろんてきこっかかん
atomistic view of the state
国家は個々の人間が集合して構成したと主張する国家観。古くはギリシアのエピクロス学派にこの考え方がみられるが、近代国家成立期におけるホッブズ、ロック、ルソーなどの社会契約的国家観、またのちにそれを発展させたベンサムの自由主義的国家観が代表例。原子論的国家観では、個人の生命・自由・財産の保障が政治の最重要な目標とされ、またそうした目標を実現するための権力は、個々人の契約や同意によって設立されたものであると主張される。そして、このような主張は、君主の権力は神授のものであるから人民は反抗できないとか、国家は家族の集合体であって家族の長は強大な父権をもっているから君主の権力は絶対であるとかいった当時の王権神授説やフィルマーらの説くような家父長制論を粉砕する役割を果たした。こうして原子論的国家観は近代における最初の民主主義的政治理論となったが、この理論は、18世紀末にはベンサムによって、「1人1票」の政治的平等主義に基づく政治的権利拡大の理論として発展させられ、今日の議会制民主主義の政治思想となった。ところで、遅れて近代国家を形成し、国家の個人に対する優位を説くことによって早急に強大な国家を建設しようとして国家有機体説を唱えたドイツのような国からは、原子論的国家観は、個人の私利私欲の追求を認め国家的統一を乱すものとして批判された。しかし、原子論的国家観の趣旨は、個人の利益を最優先させながら同時に公共の利益を実現することを目ざしていたのであって、そうしたドイツの側からする非難はあたらない。
その後、19世紀末ごろから、失業・貧困などの社会問題が顕在化し、階級対立が激化するなかで、国家の本質は国家の基礎をなす社会の構造それ自体を分析して明らかにすべきであるというマルクス主義的階級国家論や、政治の動きをさまざまな利益集団の対抗関係としてとらえようとするラスキ的な多元的国家論などが登場し、国家や社会は自由・平等な個人からなるとする原子論的国家観は時代遅れのものとみなされるようになった。しかし、原子論的国家観が主張してきた市民的自由の確立や同意による支配などの考え方は現代民主主義の政治思想の根幹をなすものであって、今日でも依然として重要な意味をもち続けていることはいうまでもない。
[田中 浩]