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                            「滝精一」の意味・読み・例文・類語
                    
                
		
    
        
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    出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
	
    
  
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                    滝 精一
タキ セイイチ
        
              
                        大正・昭和期の東洋美術史学者 東京帝国大学名誉教授。 
- 生年
 - 明治6年12月12日(1873年)
 
- 没年
 - 昭和20(1945)年5月17日
 
- 出生地
 - 東京
 
- 別名
 - 号=拙庵,節庵
 
- 学歴〔年〕
 - 東京帝国大学文科大学哲学科〔明治30年〕卒
 
- 学位〔年〕
 - 文学博士(東京帝国大学)〔大正4年〕
 
- 主な受賞名〔年〕
 - 朝日文化賞〔昭和15年〕
 
- 経歴
 - 大学院で美学を専攻し、東京美術学校、東京女子高等師範学校、京都帝大講師を経て、東京帝大文科大学講師となり、大正2年教授に就任し、美術史の講座を担当する。9年東宮御学問所御用掛、14年帝国学士院会員、昭和2年東京帝大評議員兼文学部長を歴任し、9年定年退官し名誉教授。この間、日本美術史、支那絵画史、印度仏教美術などを講義し、また文部省の古社寺保存会、国宝保存会、重要美術品等調査委員会委員などを歴任。また明治34年以来主催する「国華」編集に携わる。退官後は帝室博物館顧問、東方文化学院院長などをつとめた。著書に「文人画概論」「滝拙庵美術論集」など。
 
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
	
    
  
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                    滝精一 (たきせいいち)
生没年:1873-1945(明治6-昭和20)
        
              
                        美術史学者。号は拙庵,節庵。日本画家滝和亭(かてい)(1832-1901)の長男として東京に生まれる。東京帝国大学哲学科卒。東京美術学校講師などをへて,1913年より34年まで東京帝国大学文学部教授として,東洋,日本美術史学を講じた。1901年以来,美術雑誌《国華》を主宰,また文部省の委員として古社寺,古美術の保存,指定にも尽力した。著書に《文人画概論》《Japanese Fine Art》《滝拙庵美術論集・日本篇》などがある。
執筆者:辻 惟雄
 
                                                          
     
    
        
    出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
	
    
  
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                    滝精一
たきせいいち
(1873―1945)
        
              
                        美術史学者。文学博士。明治の日本画家滝和亭(かてい)(1832―1901)の長男として東京に生まれる。号は拙庵(せつあん)、節庵。東京帝国大学を卒業後、同校のほか東京美術学校、京都帝国大学で日本美術史および東洋美術史を講じ、近代科学としての美術史学の基礎を確立した。また美術雑誌『国華(こっか)』の編集に長年携わり、多くの論文や解説を発表して東洋美術の紹介に努力する一方、古美術の調査保存事業にも尽力した。1940年(昭和15)朝日文化賞を受賞。主著に『滝拙庵美術論集日本篇(へん)』(1943)、『文人画概論』(1922)などがある。
[玉蟲玲子]
                                                          
     
    
        
    出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
	
    
  
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                    滝精一【たきせいいち】
        
              
                        美術史学者。号は拙庵,節庵。日本画家滝和亭〔1832-1901〕の長男として東京に生まれる。東大で東洋美術を専攻,東京美術学校,京大,東大で美術史を講じ,美術史学の育成に尽力。早くから古社寺保存会,国宝保存会等の委員として指導的役割を果たし,また《国華》の主幹にあたり,東洋美術の研究と紹介に生涯をささげた。著書に《文人画概論》《滝拙庵美術論集》等。
                                                          
     
    
        
    出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報
	
    
  
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                    滝精一 たき-せいいち
        
              
                        1873-1945 明治-昭和時代前期の美術史学者。
明治6年12月23日生まれ。滝和亭(かてい)の長男。母校東京帝大の教授となり日本美術史,東洋美術史をおしえ,また東方文化学院理事長・院長をつとめた。美術雑誌「国華」編集にたずさわるとともに,古美術保存事業に尽力した。学士院会員。昭和15年朝日文化賞。昭和20年5月17日死去。73歳。東京出身。号は拙庵。著作に「文人画概論」「滝拙庵美術論集」など。
                                                          
     
    
        
    出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
	
    
  
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                    滝 精一 (たき せいいち)
        
              
                        生年月日:1873年12月23日
大正時代;昭和時代の美術史学者。東京帝国大学教授;東方文化学院理事長
1945年没
                                                          
     
    
        
    出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
	
    
  
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