デジタル大辞泉
「国行」の意味・読み・例文・類語
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
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出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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国行(1) くにゆき
?-? 鎌倉時代の刀工。
山城(京都府)来(らい)派の事実上の祖とされる。来は高麗(こうらい)(朝鮮),あるいは異国からの渡来を意味するといわれる。身幅がひろく豪壮な姿の太刀をつくり,国宝1口(ふり),重要文化財14口が現存。子に国俊,弟子に国光,国次らがいる。正元(しょうげん)(1259-60)ごろの人か。通称は来太郎。
国行(2) くにゆき
?-? 鎌倉時代の刀工。
大和(奈良県)当麻(たいま)寺の付近に居住した刀工集団当麻派の祖。当麻寺の僧兵の御用をつとめ,正応(しょうおう)-正和(しょうわ)(1288-1317)のころに活躍したとされる。代表作に太刀(国宝),小太刀(重要文化財)がある。通称は兵衛尉。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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普及版 字通
「国行」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の国行の言及
【山城物】より
…さらに建長(1249‐56)ころの国綱は北条時頼の招きにより鎌倉で作刀し,相州鍛冶([相州物])の基を築いたと伝え,末期の[吉光]は短刀の名手として名高い。一方,同じころ四条大路には定利,定吉ら綾小路派がおり,中期から南北朝時代にかけては国行を祖とする来(らい)派が栄えた。来派は一説に先祖が高麗からの帰化人といい,銘に来国俊,来国光,来国次,来倫国,来国長など〈来〉の字を冠するものが多い。…
※「国行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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