救急医療(読み)きゅうきゅういりょう

改訂新版 世界大百科事典 「救急医療」の意味・わかりやすい解説

救急医療 (きゅうきゅういりょう)

救急医療とは,思いがけなく突然に発生する病気,けが,中毒などの患者を適切に救助し病院へ搬送し,病院においては医師,看護師,その他の医療従事者の協同作業により,搬入された救急患者を診療・看護して,社会復帰させることを目的とした医療体系であり,医療の原点である。救急医療という言葉にあてはまる英語はemergency medical services(略称EMS)と考えられる。サービスという単語からもわかるように,救急医療は医師が直接行う救急診療だけをさすものではなく,救急患者に対する広い範囲の医療サービスと理解されるべきである。救急医療のなかには次のものが含まれる。(1)一般人が行う応急手当や救急蘇生法,(2)救急隊員が行う救急処置および救急車による患者の病院への搬送,(3)医師の診療,看護婦の介助や看護,医療従事者(放射線科技師,臨床検査技師,医療事務者など)による検査や事務手続,(4)救急医療情報センターによる情報の収集と伝達。

日本では,けが,やけど,その他の不慮の事故で若い人たちが死亡することが多いため,長い間,不慮の事故による患者の対策が救急医療で最も重要視されてきた。とくに1960年代から,自動車が急速に普及し,交通事故によるけが人や死者が急に増加したため,救急医療=交通事故という考え方が一般化したきらいがある。現在も交通事故によるけが人や死者の数は多い。しかし日本の死亡者の割合をみると,突然に発病する脳内出血脳梗塞など脳血管の病気,心筋梗塞,狭心症など心臓の病気,肺炎や気管支炎など呼吸器の病気,などのほうが不慮の事故によるものよりはるかに多い。現在の救急医療においては,不慮の事故によるけが人ばかりでなく,内科系のいろいろな急病人が取り扱われている。

救急医療は病気やけがが発生した現場から始まる。発生現場において,家族,通りかかった人,到着した救急隊員などによって応急手当や心肺蘇生術がどの程度効果的に行われるかが,患者の回復や生命を大きく左右する。けがの場合,事故発生から30分以内に死亡する人は,けがによる全死亡者の約41%を占めるという報告がある。この時間帯における患者の生命は医師ではなく,患者の周囲にいる人たちにゆだねられている。現場にいる人たちが適切な応急手当や心肺蘇生術を行うことが,死亡者数の減少に大いに役立っていることがアメリカから報告されている。国民のすべてが応急手当や心肺蘇生術に関する正しい知識と方法を身につけなければならない時代がきている。日本では,日本赤十字社が市民を対象に救急法の講習会を開いているが,国民全体の数からみると受講者数はまだ少ない。一方,救急隊員や救急車が増加され,救急車で搬送される患者数は年々増えている。しかし,救急車を呼ぶ必要がない病気やけがで,救急車が手軽に利用されている場合も決して少なくない。救急隊員は応急手当や心肺蘇生術について教育をうけている。救急隊員は現場においてばかりでなく,搬送中の救急車内でも患者を適切に管理することが要求されている。救急隊員ばかりでなく,患者を病院へ搬入した一般人も,医療機関へ着いたら担当の医師や看護師に発病やけがの発生状況,応急手当の内容,病状の変化,などを簡潔に伝えることがたいせつである。これらの情報は診断や治療のうえで大いに役立つ。

救急車を呼んだ場合は,現場からあらかじめ病院に患者を搬送するむねの連絡がある。その情報にもとづいて,病院では患者を受け入れる準備を進める。救急患者が到着すると,救急室(救急室がなければ各診療科の外来患者診察室)で医師・看護師などによる診療が開始される。一般日常の診療とちがって,救急室での診察は時間をかけて正確な診断をすることが主目的ではない。その病気やけがをすぐに処置すべきか,あるいは少し待ってもよいものかという緊急度の判定がまず行われる。たとえば,けが人が運びこまれてきたら,呼吸をしているか,脈はふれるか,意識はあるか,瞳孔の大きさは,血圧はどのくらいあるか,外出血はないか,どの部位のけがが重いか,などをまず診察する。外出血はただちに圧迫して止血する。外出血がないのに血圧が低いときは,からだの内部で出血していると考えて診察を進める。診察を進めながら,患者に酸素を与えたり,輸液や薬を与えるための静脈路を確保したりする。呼吸や心臓が停止している患者の場合は,口や鼻孔から気管内にチューブを入れて,100%濃度の酸素を用いて人工呼吸を開始する。ただちに心臓マッサージも始める。一方,救急室で行う治療は必ずしも原因を除くのではなく,からだに起こっている生理学的異常(病態)を正常化することを目的としている。前述した呼吸と心臓とが停止した患者にあてはめてみると,呼吸や心臓の停止を起こす原因はいろいろあるが,その原因を診断したり除いたりすることよりも,まず人工呼吸や心臓マッサージを行うことが第1に行うべき治療である。呼吸が戻り,心臓が再び動きはじめた後で,原因の究明が行われる。軽い病気やけがの患者は救急室での治療が終わったならば帰宅させる。一方,入院させて容体を観察したほうがよいと考えられる患者は,一般病棟に入院させる。手術の必要があるなしにかかわらず,非常に重症と考えられる患者は,集中治療室intensive care unit(略称ICU)などに移されて,さらに容体の監視と治療が行われる。

非常に重症な患者は,内科や外科などの診療科目,および病気やけがの内容にかかわらず,病院内に設置された集中治療室で治療をうけることが多くなってきた。救命救急センターまたは救急医療センターと呼ばれている施設では,病院の内外から重症患者を受け入れている。重症患者はおもに呼吸と循環の治療が必要であり,その目的のために,医師,看護婦,医療従事者などの人員および監視用・治療用の医療機器類を1施設に集めて,24時間体制での診療が行われる。この診療方式が集中治療あるいはクリティカル・ケアと呼ばれている。病院によっては,心臓病患者のみを収容し治療する施設(cardiac(またはcoronary)care unit。略称CCU),呼吸器病患者用施設(respiratory care unit。略称RCU),脳の病気やけが人を収容する施設(neurological intensive care unit。略称NICU)などが分けられている場合もある。いずれにしろ,これらの施設は重症患者を効率的かつ集中的に治療するのが目的である。集中治療の必要がなくなれば,患者は一般病棟に移される。
応急手当 →救急箱 →救命具
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1960年代の自動車の急速な普及に伴い,交通事故によるけが等も増加し,63年,消防機関の業務として救急搬送業務が法制化され,翌64年主として外科系領域の診療にあたる救急病院・診療所が告示された。その後,脳外傷等の重症患者を治療することができる高度の診療機能をもつ救急医療センターが,交通事故多発地域および人口100万に1ヵ所程度の割合で各地に整備された。さらに,内科・小児科系患者の比率が増し,76年から厚生省は,救急医療体系および救急医療情報システムの整備を図っている。

 この救急医療体系とは3次からなり,軽症者のための救急医療を担当する第1次救急医療施設として,原則人口5万以上の市に,休日・夜間急患センターを整備し,また,郡市医師会単位で在宅当番医制を設けている。第2次救急医療施設として,第2次医療圏単位に休日・夜間の入院治療を必要とする救急患者の診療を確保するため,救急に対応できる医療従事者を配置し,救急専用病床を確保した病院を整備している。その方法に病院群輪番方式と共同利用型病院方式があり,前者は,地域内の病院群により輪番制を組み,当番日を定めて救急医療に対応し,後者は,医師会立病院等が,休日・夜間に病院の一部を開放し,地域の医師会の協力を得て,救急医療に対応している。第3次救急医療施設として,おおむね人口100万に一つをめどに,脳卒中・心筋梗塞・頭部損傷等の重篤な救急患者を受け入れるため,高度な診療機能を有し,24時間診療体制の救命救急センターの整備をすすめている。

 広域災害・救急医療情報システムは,都道府県を単位として,救急医療情報センターの整備がすすめられ,24時間体制で救急医療施設の空床の有無,手術の可否等の情報を収集し,消防本部,医療施設等にその情報を提供している。96年度より,ISDN(サービス総合ディジタル網)を利用した全国ネットワークを構築して災害時の医療確保の柱の一つとしている。妊娠・分娩時の突発的な緊急事態への対応として,新生児集中治療室(NICU),胎児集中管理室,ドクターカー等が設けられ,97年度より周産期医療情報センターの設置を含め体系的な整備をすすめることとなった。救急医学の進歩により,病院前医療として患者発見時点から医療を開始することが必要と考えられ,91年より救急搬送途上で医師の指示の下に救急救命措置を行う〈救急救命士制度〉が設けられ,ドクターカーの推進がなされている。
救急車 →救急病院 →救命救急センター
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「救急医療」の意味・わかりやすい解説

救急医療
きゅうきゅういりょう

突然の病気、けが、中毒など、急を要する患者に対して、緊急処置と診断・検査・治療を行う医療。交通事故やスポーツなどによる外傷、熱傷、急性疼痛(とうつう)など緊急の処置が必要な場合や、脳梗塞(のうこうそく)、心筋梗塞、急性中毒、肺炎など緊急対応しないと生命の予後を左右しかねない疾患がおもな対象であり、迅速な診断と検査、即効的な治療が要求される。扱う患者の重症度に応じて一次救急、二次救急、三次救急に分けられる。また、それぞれの医療体制は医療圏ごとに整備することになっており、一次医療圏は市町村単位、二次医療圏は広域市町村単位、三次医療圏は北海道など広域道県を除き都府県単位が標準となる。

 一次救急(初期救急)医療は、入院を必要とせず、外来で対処できる帰宅可能な軽症患者を対象とする。市町村レベルで自治体が体制を整備し、内科・外科・小児科などの夜間や休日の当番病院や診療所・医院の在宅当番医、休日夜間急患センター、小児救急センター、休日歯科医院などがその任にあたる。

 二次救急医療は、入院治療や手術を必要とする重症患者を対象とする。広域市町村レベルで医療圏を設定し、地点ごとに体制を整備する。患者のたらい回し防止のため病院群輪番制によって当番病院を決めて任にあたり、拠点ごとの救急病院や小児救急病院、周産期母子医療センターなどが地域医療の中核的役割を果たす。

 三次救急は、複数の診療科領域にわたる傷病など、二次救急医療では対応できない、とくに高度な処置が必要であるか、一刻を争う重篤な救急患者を対象とする。広範な地域をカバーする都府県レベルの医療圏のなかで救急医療に特化した高度な診療や処置を専門医が施し、各種救命救急センターや小児救急センター、総合周産期母子医療センターなどがその役割を担う。

[編集部]

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