鎌倉・室町幕府によって鎌倉,京都に置かれた屋地に関する行政・裁判を担当する奉行人。鎌倉中期,北条泰時は京都の都市制度にならって鎌倉の都市的整備を行ったが,そのときに置かれたのがこの地奉行であり,行政地域別に置かれた保奉行人を統轄して,警察権を掌握する侍所とともに都市行政を担当した。その地位は侍所に所属するが,鎌倉幕府後期の多くの職制がそうであるように,奉行の一人は北条氏の被官(得宗被官)であり,得宗支配の一端を担った。室町幕府が京都に置かれると,地奉行も鎌倉幕府にならって置かれ,京都の屋地について関与したが,京都には従来の検非違使が置かれていたためその機能と競合した。しかし室町幕府が京都の支配権を完全に吸収した足利義満の時代には,検非違使の屋地裁判の機能を吸収した地方(じかた)という機構がつくられて,地奉行はこの地方の職員として屋地に関する裁判・行政を担当した。
執筆者:五味 文彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…幕府は京都の制度を導入して鎌倉でも家地の単位の戸主(へぬし)(50平方丈),家の集合体としての保(大きさは不明)の制度を作り,保ごとに保奉行人をおいて管理に当たらせた。そして保奉行人を統轄し,鎌倉を支配する地奉行を任命した。地奉行は幕府の政所に所属し,2名のうち1名は政所の高級職員,1名は北条氏嫡流家の被官が選ばれたようである。…
…京都市中の治安・警察面を担当した侍所に対し,洛中の土地支配にかかわる事柄をその職務とした。鎌倉時代にすでに,鎌倉市中での土地の打渡(うちわたし),保々(ほほ)奉行人の統轄,それへのさまざまな指令の奉行といった,いわば鎌倉市政のかなめともいうべき〈地奉行〉と呼ばれる職名のあったことが知られており,また,この地奉行は原則として2名からなり,1名は政所職員より,他の1名は得宗被官のうちより選ばれた。南北朝期には,おもに武家の輩に対する洛中屋地の闕所地(けつしよち)給付をその職務とする〈地方管領〉の活動が見える。…
…鎌倉の保の数は明らかでないが,京都よりやや少ない8~10程度とみられ,保奉行人には保官人の場合から推定して政所寄人が任ぜられたとみられる。保奉行人を直接統轄した地奉行(じぷぎよう)には,当初政所職員1人が任ぜられていたが,やがてそれに得宗被官(北条氏家人)が加えられ,得宗の鎌倉中支配は一段とすすんだ。室町幕府は京都を本拠としたため,検非違使による保官人があって,保奉行人の制はなくなる。…
※「地奉行」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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