日本歴史地名大系 「地蔵院跡」の解説
地蔵院跡
じぞういんあと
寛文三年(一六六三)の開基帳(彰考館蔵)には除地六石余、末寺四ヵ寺、門徒一四ヵ寺を有したとある。
地蔵院跡
じぞういんあと
地蔵院跡
じぞういんあと
慶長四年(一五九九)の地蔵院所蔵文書(「注進案」所収)の「防州都濃郡末武花岡八幡宮目録
近世初期には花岡八幡宮は大社で、その社務は地蔵院を中心に社坊九ヵ寺で行われていたらしい。それ以前地蔵院は一時無主のことがあったらしく、天文六年(一五三七)頃の陶興房の署名のある文書(「注進案」所収)に「地蔵院事近年二位公令存知之処、依為不慮之覚悟当時既無主候、然者及大破之由申候、不可然候、有再住諸篇被申付候者肝要候」とあり、天文一九年の陶隆房(晴賢)の文書には「末武花岡地蔵院住持職之事、重円公可存知者也」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報