新撰 芸能人物事典 明治~平成 の解説
坂東 三津五郎(8代目)
バンドウ ミツゴロウ
- 職業
- 歌舞伎俳優
- 肩書
- 重要無形文化財保持者(歌舞伎立役)〔昭和48年〕
- 本名
- 守田 俊郎(モリタ トシロウ)
- 別名
- 初名=坂東 八十助(3代目)(バンドウ ヤソスケ),前名=坂東 簑助(6代目)(バンドウ ミノスケ),俳名=坂東 みの介(バントウ ミノスケ),是真,喜好
- 屋号
- 大和屋
- 生年月日
- 明治39年 10月19日
- 出生地
- 東京市 下谷区二長町(東京都 台東区)
- 経歴
- 大正2年3代目坂東八十助の名で初舞台、昭和3年6代目坂東簑助となる。若くして小山内薫に傾倒し、7年新劇場を結成、ヘイワードの「ポーギー」を上演、歌舞伎界の反逆児といわれる。翌年「源氏物語」の劇化を企画したが、上演禁止。9年松竹を脱退して東宝に入り、10年第一次東宝劇団を結成、有楽座を本拠に公演したが、14年に解散。15年関西に移り、関西歌舞伎で活躍。映画にも出演。戦後は武智歌舞伎に参加。36年東京松竹に復帰し、37年8代目三津五郎を襲名。均整のとれたキメ細かな芸風で、舞踊にも定評があった。晩年は老け、実悪、辛抱立役に優れた舞台を見せた。48年人間国宝に認定される。当たり役に、「源平布引滝」の瀬尾十郎、「双蝶々曲輪日記」の長五郎、「弁天娘女男白浪」の日本駄右衛門、「勧進帳」の弁慶、「助六由縁江戸桜」の意休、「新薄雪物語」の幸崎伊賀守、「桐一葉」の片桐且元など。茶道、古美術に造詣深く、歌舞伎界の故事、先達の芸風にも通じ、“歌舞伎の生字引”といわれた。文筆家としても知られ、著書に「戯場戯語」「言わでもの事」「芸十夜」などがある。また、俳句をよくし、簑助時代に虚子に師事して「ホトトギス」に投句。食通で料理を得意としたが河豚の肝にあたって急逝した。
- 受賞
- 日本芸術院賞(第22回 昭40年度)〔昭和41年〕 紺綬褒章〔昭和39年〕,紫綬褒章〔昭和45年〕 日本エッセイスト・クラブ賞(第17回)〔昭和44年〕「戯場戯語」
- 没年月日
- 昭和50年 1月16日 (1975年)
- 家族
- 養父=坂東 三津五郎(7代目),孫=坂東 三津五郎(10代目)
- 親族
- 女婿=坂東 三津五郎(9代目),甥=岸沢 式佐(11代目・常磐津三味線方)
- 伝記
- 対談集 源泉の感情舞踊と身体 三島 由紀夫 著芦原 英了 著(発行元 河出書房新社新宿書房 ’06’86発行)
出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報