坂根村(読み)さかねむら

日本歴史地名大系 「坂根村」の解説

坂根村
さかねむら

[現在地名]備前市坂根

山陽道筋の村で、東は香登西かがとにし村、南は長船おさふね(現邑久郡長船町)。西は吉井川で限られるが、対岸大内おうち(現赤磐郡瀬戸町)に枝村宇治うじがある。吉井川の流路が変わったためという(備前記)

慶長一八年(一六一三)和気郡御勘定帳に村名がみえ、物成二二石余・夫米一石余。寛永五年(一六二八)検地では朱印高一〇一石余のほか改出高一一五石余(貞享元年「和気郡高目録」池田家文庫)。享保六年(一七二一)には田畠二二町余、家数五七・人数三四四、池一ヵ所(備陽記)。延宝五年(一六七七)には吉井川船番所が設置されたが、享保二〇年和気わけ(現和気郡和気町)に移された(撮要録)。貞享二年(一六八五)同川に幸島こうじま新田(現岡山市)用水を補充するための備前大用水坂根堰が築かれた(岡山市の→備前大用水


坂根村
さかねむら

[現在地名]西伯町福成ふくなり

さかえ村の南西方、法勝寺ほつしようじ川中流域に位置する。集落は同川左岸、春日かすが山の山麓にあり、耕地は対岸にも展開する。西は谷川たにがわ村。元和四年(一六一八)の検地帳写(西伯町役場蔵)によれば、名請人数四一(うち二名は他村に居住)、村内居住名請人のうち一町以上の耕地所持者は九名でこのうち屋敷所有者は七名、また所持耕地三反以下の者は二一名、うち一二名は畑のみの所持者であった。


坂根村
さかねむら

[現在地名]瀬戸町坂根

寺地てらじ村の東にあり、瓜生うりう川の水源地竜王りゆうおう(一七七・四メートル)北麓の村。慶長一〇年(一六〇五)備前国高物成帳(備陽記)物理もどろい保に村名がみえ、寛永備前国絵図では高三二五石余。「備陽記」によれば山寄りの村で、岡山京橋(現岡山市)まで道程四里半、田畠二六町三反余、家数四二・人数二六〇、池九。天保年間の「磐梨郡三組手鑑」では直高五六二石余、蔵入と家臣五名の給地。


坂根村
さかねむら

[現在地名]西粟倉村坂根

大茅おおがや村の南西、吉野よしの川沿いに立地。因幡往来の美作国内の最北の宿場で、北西の国境に志戸坂しどざか峠がある。文明一四年(一四八二)八月一〇日の広峯ひろみね神社(現兵庫県姫路市)社家林家長の檀那村書(肥塚家文書)に美作国のうち「さかねのむらといや兵衛」とあり、また同社社家肥塚氏の天文一四年(一五四五)二月吉日の檀那村付帳(同文書)には「西あわくら内さかね名」とみえる。正保郷帳に村名がみえ、高一一一石。元禄一〇年(一六九七)の美作国郡村高辻帳では改出高六四石余・開高四石余、村位は中。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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