日本歴史地名大系 「堀端町」の解説
堀端町
ほりばたちよう
米子城北側、追手の内堀に沿いほぼ東西に延びる約三五〇間余に及ぶ長い武家地(「米子御城下夫々間数」県立博物館蔵)。近世中期以降のものとみられる伯州米子之図(同館蔵)に町名がみえ、北側と東側の内堀沿いが堀端町となっている。同図よりやや早い時期のものとみられる前掲夫々間数では東部分が「堀端片原侍町」、西部が堀端町とある。享保五年(一七二〇)の湊山金城米子新府(同館蔵)では、追手正門通りの東側に伊藤・隠岐・安見・益田・伊木、西側に臼井・柴山・鷲見・山内・荒尾主馬の屋敷が記され、明和―天明(一七六四―八九)頃の米子御城下図(同館蔵)では東に山内・菅・柘植・益田・鹿野、西に国田・柴山・荒尾儀太夫の屋敷と御勘定場・空屋敷が記されている。
堀端町
ほりばたちよう
堀端町
ほりばたちよう
堀端町
ほりばたまち
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報