零式艦上戦闘機(れいしきかんじょうせんとうき)(ゼロ戦)を担当した飛行機設計者。群馬県に生まれる。1927年(昭和2)東京帝国大学工学部航空学科を卒業、三菱(みつびし)内燃機製造名古屋工場(現、三菱重工業名古屋航空宇宙システム製作所)に入社した。日本海軍の九六式艦上戦闘機(1936)で成功を収め、ついで零式艦上戦闘機(1940)を設計した。太平洋戦争におけるゼロ戦の圧倒的成果は、長大な航続距離と優秀な操縦性能によるもので、整然と確立された設計思想とたゆまぬ研究の結果である。戦後、ゼロ戦操縦装置の基本理論で工学博士となり、東京大学宇宙航空研究所(現、宇宙航空研究開発機構=JAXAを構成する宇宙科学研究所)、防衛大学校、日本大学などで教職につき、1962年(昭和37)日本航空学会(現、日本航空宇宙学会)会長を務めた。1957年に始められた国産旅客機YS-11の開発・設計にも携わった。
[佐貫亦男]
昭和期の航空機設計者,航空評論家 元・三菱重工業名古屋航空機製作所技師長。 「零戦」設計者。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
…旧日本海軍が,日中戦争から太平洋戦争全期にわたって使用した艦上戦闘機。1937年から三菱重工業が堀越二郎を設計主任として開発を行い,39年初飛行,以後海軍により試験・改良が行われ,40年(皇紀2600年)制式採用となった。皇紀の末尾数字を取って零式といわれるが,アメリカが“ゼロ・ファイター”と呼んだため,ゼロ戦の呼名が戦後普通になった。…
※「堀越二郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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