紀友則(読み)キノトモノリ

デジタル大辞泉 「紀友則」の意味・読み・例文・類語

き‐の‐とものり【紀友則】

平安前期の歌人三十六歌仙一人大内記に至る。紀貫之きのつらゆきらと古今集撰進家集友則集」。生没年未詳。

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精選版 日本国語大辞典 「紀友則」の意味・読み・例文・類語

き‐の‐とものり【紀友則】

  1. 平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。貫之従兄宇多醍醐天皇に仕えて大内記に進み、「古今和歌集」の撰者となる。歌風は調べがおおらかで、重厚、平明。家集に「友則集」がある。生没年未詳。

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改訂新版 世界大百科事典 「紀友則」の意味・わかりやすい解説

紀友則 (きのとものり)

平安前期の歌人。生没年不詳。三十六歌仙の一人。貫之の従兄弟。897年(寛平9)に土佐掾(とさのじよう)に任ぜられたころには40歳を過ぎていたらしい。父の有朋(ありとも)が惟喬(これたか)親王の周辺で和歌を詠んでいたので,友則もその感化を受けて早くから作歌をしたと思われる。893年ころの宇多天皇周辺の歌合に出詠し,その後,醍醐天皇の命を受け《古今和歌集》の撰者の一人となったが,編集を最後まで果たさず,907年(延喜7)ころに死去した。和歌は《古今集》以下の歴代の勅撰集に65首,家集に《友則集》がある。《古今集》の序に名前を連ねた4人中の筆頭撰者として,その編集事業の中心にあったかもしれないが,詳細は不明である。彼の和歌には《万葉集》や中国古典に学んだところも見られるが,無技巧でつつましやかな調べのうちに上品な悲哀感がにじみ出ている。〈夕されば佐保(さほ)の川原の川ぎりに友まどはせる千鳥鳴くなり〉(《拾遺集》巻四)。
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百科事典マイペディア 「紀友則」の意味・わかりやすい解説

紀友則【きのとものり】

平安前期の歌人。三十六歌仙の一人。生没年不詳。紀貫之の従兄弟に当たる。貫之らとともに《古今和歌集》撰進の命を受けたが,途中で没した。当時の代表的歌人として《寛平御時后宮歌合》などの諸歌合に出詠している。《古今和歌集》以下勅撰集の入集歌64首,家集に《友則集》がある。
→関連項目凡河内躬恒

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「紀友則」の意味・わかりやすい解説

紀友則
きのとものり
(851/857―905)

平安前期の歌人。『古今和歌集』撰者(せんじゃ)。三十六歌仙の一人。有友の子。897年(寛平9)土佐掾(とさのじょう)、翌年少内記、904年(延喜4)大内記。『古今集』撰集途次に没した。集中第3位の46首入集(にっしゅう)。早く892年の「是貞親王家歌合(これさだのみこのいえのうたあわせ)」、「寛平御時后宮歌合(かんぴょうのおおんとききさいのみやのうたあわせ)」にかなりの歌を残し、『新撰万葉集』を通じて、『古今集』直前の時期の、もっとも有力な歌人であった。機知的なうちにもしみじみとした叙情を示す穏和典雅な歌風で、古今風を直接に導いた歌人として評価される。『古今集』筆頭撰者貫之(つらゆき)は、友則の従弟(いとこ)にあたる。

 ひさかたの光のどけき春の日に静心なく花の散るらむ
[菊地靖彦]


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朝日日本歴史人物事典 「紀友則」の解説

紀友則

生年:生没年不詳
平安時代の歌人,三十六歌仙のひとり。有朋(有友)の子,貫之の従兄弟。土佐掾,少内記,大内記を歴任。宇多天皇の寛平年間(889~98)に是貞親王家歌合や寛平御時后宮歌合などに出詠して歌壇的地位を確立。次いで延喜5(905)年醍醐天皇の命を受け,貫之らと共に『古今集』の編纂に携わったが,編纂途上で惜しくも没した。家集に『友則集』がある。作品はあまり多くはないが,「久方のひかりのどけき春の日にしづ心なく花のちるらむ」の詠が示すように,典雅で流麗な歌風を特色とする。<参考文献>山口博『王朝歌壇の研究/宇多・醍醐・朱雀朝篇』

(田中登)

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「紀友則」の意味・わかりやすい解説

紀友則
きのとものり

平安時代前期の歌人。三十六歌仙の一人。有友 (ありとも) の子。紀貫之の従兄。土佐掾,少内記を経て,正六位上大内記にいたる。『寛平内裏菊合 (だいりきくあわせ) 』 (891以前) ,『寛平御時后宮歌合』 (889?) ,『是貞親王家歌合』 (893) に参加し,延喜5 (905) 年『古今和歌集』の撰者として撰集にあたったが,完成をまたずに没した。家集『友則集』。勅撰集入撰歌は『古今集』以下約 64首。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「紀友則」の解説

紀友則
きのとものり

生没年不詳。平安前期の歌人。三十六歌仙の1人。有友の子。紀貫之(つらゆき)の従兄弟。「後撰集」の藤原時平との贈答歌によれば,40歳まで無官であった。貫之らより一世代上の歌人。歌合(うたあわせ)で活躍し,貫之・凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)・壬生忠岑(みぶのただみね)とともに「古今集」の撰者となった。ただし「古今集」中に貫之と忠岑の友則追悼歌があり,撰集途中あるいは直後に没したか。「古今集」には貫之・躬恒につぐ46首がのる。勅撰集入集は65首。家集「友則集」。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「紀友則」の解説

紀友則 きの-とものり

?-? 平安時代前期-中期の歌人。
紀貫之(つらゆき)の従兄弟(いとこ)。三十六歌仙のひとり。延喜(えんぎ)4年(904)大内記。寛平(かんぴょう)のころから宮廷の歌合わせに出詠し,醍醐(だいご)天皇の命をうけ「古今和歌集」の撰者のひとりとなったが,延喜5年の完成をみずに死去した。「古今和歌集」には46首はいっている。家集に「友則集」。
【格言など】久かたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ(「小倉百人一首」)

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旺文社日本史事典 三訂版 「紀友則」の解説

紀友則
きのとものり

?〜905
平安前期の歌人。三十六歌仙の一人で,『古今和歌集』撰者の一人
貫之のいとこ。歌風は優麗繊細で調べはおおらかである。生涯は官途に恵まれなかったが歌人として重んじられた。家集に『友則集』1巻。

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世界大百科事典(旧版)内の紀友則の言及

【古今和歌集】より

…完成奏覧は913年(延喜13)から914年の間である。撰者は紀友則,紀貫之,凡河内躬恒(おおしこうちのみつね),壬生忠岑(みぶのただみね)の4人で,友則は途中で没し編纂の主導権は貫之がとった。撰者の主張は序文に示され,〈やまと歌は人の心を種としてよろづの言の葉とぞなれりける〉と仮名序の冒頭にいうように,創作主体としての人間の心を基本に据えるものである。…

※「紀友則」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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