日本歴史地名大系 「多聞寺」の解説 多聞寺たもんじ 岩手県:江刺市片岡村多聞寺[現在地名]江刺市南町人首(ひとかべ)川の左岸丘陵上にあり、岩屋戸山と号し、真言宗智山派、本尊は毘沙門天像。多門寺とも書かれた。「片岡村安永風土記」によれば、岩谷堂(いわやどう)城主岩城氏の御家中寺で、南面して客殿・門があった。境内の鎮守毘沙門堂は三間四面、長床門・鳥居ともに南面。祭日は六月一―三日。宝暦一三年(一七六三)の片岡村風土記書上(達下文書)によると、毘沙門天像は一尺五寸で、慈覚大師円仁の作、永徳年中(一三八一―八四)の片岡氏時代以降岩谷堂城本丸に安置されていた。 多聞寺たもんじ 岡山県:津山市旧苫田郡地区下横野村多聞寺[現在地名]津山市下横野天台宗、金光山と号し、本尊刀八毘沙門天。もと下高倉(しもたかくら)村字寄松(よりまつ)にあり、寄松山と号する。貞観二年(八六〇)慈覚大師の開基と伝え、美作国四八ヵ寺の根本道場。嘉吉の兵乱により堂宇ことごとく焼失、このため時の住持慶賢が本尊を奉じて香々美(かがみ)郷藤屋(ふじや)村(現苫田郡鏡野町)に避け、小堂を構えて本尊を安置し多聞寺と号した。逃避の際に寺の什器・仏具等を残らず北の坊の僧徒芦田新介が地中に埋めた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
事典・日本の観光資源 「多聞寺」の解説 多聞寺 (兵庫県神戸市垂水区)「新・こうべ花の名所50選」指定の観光名所。 出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報 Sponserd by