片岡村(読み)かたおかむら

日本歴史地名大系 「片岡村」の解説

片岡村
かたおかむら

[現在地名]江刺市八日町ようかまち一―二丁目・南大通みなみおおどおり・中町なかまち川原町かわらまち栄町さかえちよう南町みなみちよう本町ほんちよう六日町むいかまち大通おおどおり・銭町ぜにまち館山たてやま男石おいし一―三丁目・重染寺ちようぜんじ前田町まえだちよう岩谷堂いわやどう

現江刺市の西部に位置し、当村東部は北上高地西麓丘陵、中心部以西は北上川とその支流人首ひとかべ川・広瀬ひろせ川が形成した沖積平野に立地。丘陵中の谷地形を抜け出て、平地部に移る谷口集落である。岩谷堂城跡本丸東方の帯郭から、平安時代の竪穴住居跡が確認され、鉄滓などが出土している。同城を安倍氏の鶴脛つるはぎ柵、藤原清衡豊田とよだ館とする説もある。戦国時代にかけては葛西氏から出た江刺氏が岩谷堂城に拠り(葛西真記録)江刺郡の支配にあたった。江戸時代には仙台藩要害体制の一画を占め、同城には腹心が交替で配置された。万治二年(一六五九)伊達氏一門の伊達(本姓岩城氏)宗規が入封、当村ほかで三二三貫文余を給された。その後岩城氏が世襲し明治維新まで領知した。また当村岩谷堂町に仙台藩奥郡奉行の代官所が置かれ、代官の下で村々の肝入を統率した。江刺郡西方大肝入も当村小松原氏が代々任命されていた。寛永一九年(一六四二)の片岡村検地帳(県立図書館蔵)によれば田方一四五町一反余・代一七八貫二五五文、畑方一五三町一反余・代四九貫一四九文、茶畑六反余・代一貫七八三文、根岸屋敷ほか四四の屋敷名がみえる。岩谷堂町場が形成されており六日町・一日市ひといち町など一一町と一小路名がみえる。

片岡村
かたおかむら

[現在地名]越知町片岡

黒瀬くろせ村の西、仁淀によど川左岸にあり、吾川あがわ郡に属した。「土佐州郡志」に「東限黒瀬、西限鎌井田、南限二淀川、北限下八川及新別村」とある。近世前期の郷帳類にはしばしば徳光とくみつ村と記されるが、元禄郷帳以降消滅。天正一八年(一五九〇)の吾川郡片岡本村地検帳に小村としての片岡村・片岡本かたおかほん村がみえる。当時黒岩くろいわ(現佐川町)に移転していた片岡氏の名字地で、「土ゐヤシキ」「マトハヤシキ」の記載があり、城跡・塁跡が背後の山にある。

片岡村
かたおかむら

[現在地名]平塚市片岡

東は飯島いいじま村、西は千須谷せんずや村、南は広川ひろかわ村、北は大畑おおはたけ村に接する。中ほどを流れる金目かなめ川を境に南半分が丘陵、北半分が水田に分けられ、丘陵縁沿いに集落がある。東方で、南北に通る伊勢原いせばら道と東西に金目川堤上を通る曾屋そや道が交差する。「和名抄」の大住おおすみ郡片岡郷に比定される。「吾妻鏡」建暦二年(一二一二)八月二二日条に「相模国片岡前取等社」とみえ、鎌倉将軍家の祈祷所と定められている。片岡社はおそらく当村の鎮守雷電らいでん(現片岡神社)をさすと思われる。

片岡村
かたおかむら

[現在地名]高梁市巨勢町こせちよう

柳分やなぎぶん村の北に位置し、片岡のほか安元やすもと塩坪しおつぼ陰地おんじなどの集落がある。有漢うかん川沿いに北上してきた落合おちあい往来が塩坪で支流の大谷おおたに川沿いに移って多和山たわやま峠方面に向かう。寛永備中国絵図では古瀬こせ村に含まれる。正保郷帳に古瀬片岡村とみえ高二七四石余、松山藩領(以後の領主の変遷は松山西村に同じ)、宮林少・柴山少・芝草山大の注記があり、枝村に屋淵やぶち村・安元村をあげる。

片岡村
かたおかむら

[現在地名]灘崎町片岡

川張かわはり村の南、東は児島湾に面する。山側にある満地まじ池としん(ともに近世前期に築造)に囲まれた片岡城跡は戦国期の小塁で、城主三村弥太郎行清あるいは串田くしだ(現倉敷市)鼻高山はなたかやま城主沖左衛門尉兼忠と伝えられ、前者常山つねやま城主上野(三村)隆徳の一族といわれ、後者は毛利氏の家臣である。

慶長九年(一六〇四)の検地帳(慶安二年写、灘崎町中央公民館蔵)によれば高三四八石余、田一一町五反余・畑屋敷一二町一反余、屋敷持名請百姓は寺二軒を含め三六人がみえる。寛永備前国絵図では片苅かたかり村とあり、高二五三石余。明暦元年(一六五五)以降、片岡村と改称する(「年貢免状」灘崎町中央公民館蔵)

片岡村
かたおかむら

[現在地名]草津市片岡町

しも寺村の東、志那中しななか村の北に位置。南西に集落があり、南東部を志那街道が通る。白鳳期の片岡廃寺(東光寺廃寺)がある。元亀三年(一五七二)片岡惣代は一向一揆に内通しない旨の起請文を出している(→草津市。寛永石高帳では高八〇四石余、膳所藩領と幕府領。慶安高辻帳では膳所藩領の田三四七石余・畑一一石余・永荒三石余、幕府領田四一五石余・畑二〇石余・永荒六石余。元禄郷帳では幕府領が旗本酒井領となる。用水は南大水みなみおおずい川に依存。

片岡村
かたおかむら

[現在地名]八郷町片岡

東は烏瓜からすり村、西は浦須うらす村。弘安大田文に北郡として「片岡四段半」とある。戦国末期に佐竹氏支配下に入り、文禄五年(一五九六)の御蔵江納帳(秋田県立図書館蔵)に「高百九十九石 此内四十三石三斗六升 荒 片岡」とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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