フランスの詩人ベルトランの散文詩集、副題「レンブラント、カロ風の幻想曲」。作者の死の翌年の1842年刊行。百年戦争のエピソードやフランドル地方の風俗を、簡潔な散文で視覚的に描いた作品。当時としては前例のないスタイルで、ベルトラン自身「新しいジャンル」とよび、後年ボードレールにより「散文詩」として確立される。六部からなり、それぞれ10編前後の散文詩を含む。「写真的」と評されるほど客観的描写に特徴があり、読者は一編ごとに、あたかも一枚の絵画を見るかのような印象を受ける。ラベルの同名ピアノ曲集(1908)は、このなかの三編の作品に想を得たものである。
[及川 茂]
『及川茂訳『夜のガスパール』(1983・書肆風の薔薇)』
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…しかも,そのどれもが同じラベルに違いなく,書法の名人芸,豊かな和声を実現する鋭く果敢な耳,微小な細部まで仕上げをゆるがせにしないメチエ(技巧)の練達が,つねに光彩を放っている。 《鏡》の先に《夜のガスパール》(1908)がある。これはA.ベルトランの詩の幻想に寄せた3章のピアノ曲で,ほとんどソナタの規模をもつ。…
…この言葉を意図的に用いたのは,19世紀中葉のフランスで,ボードレールが《パリの憂鬱,あるいは小散文詩集》と名づける作品群を構想した(刊行は1869)ときが最初である。ボードレールはこの作品群の序文の中で,先行例としてベルトランの《夜のガスパール》(1842)をあげたが,ベルトラン自身は自作をファンテジーと呼んでいたにすぎず,このような,いわゆる詩情を感じさせる散文ならば,ルソー,シャトーブリアン,ユゴーなど,ロマン主義文学の作家には数多くの例が見られる。しかし《夜のガスパール》には,作者が意識していたか否かは別として,その散文による記述の仕方そのものを方法的に追究する意図がうかがわれるので,これをゲランの《サントール》(1835年執筆,40年発表)と並べて散文詩の先駆と見なすことは可能であり,少なくとも散文詩がフランスのロマン主義文学の風土の中で徐々に形をとろうとしていたことだけは認めることができよう。…
…貧困と病気に苦しみ,肺結核で夭折する。死後刊行された散文詩集《夜のガスパールGaspard de la nuit》(1842)は,副題〈レンブラントとカロ風の幻想〉が示すように,造形美と幻想性を備え,フランスの散文詩の最初の傑作と見なされる。ボードレールは自らの散文詩集《パリの憂鬱》の着想をこの書から得たと認めており,ベルトランの影響はのちの高踏派,象徴派にも及んでいる。…
※「夜のガスパール」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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