大井俣窪八幡神社(読み)おおいまたくぼはちまんじんじや

日本歴史地名大系 「大井俣窪八幡神社」の解説

大井俣窪八幡神社
おおいまたくぼはちまんじんじや

[現在地名]山梨市北

笛吹川の右岸きた集落のほぼ中央部にある。祭神は誉田別尊・足仲彦尊・気長足姫尊。旧県社。単に窪八幡神社とも称する。社伝によれば、貞観元年(八五九)二月二三日に清和天皇勅命により、和気彝範が豊前国宇佐宮を勧請し、笛吹川の中島の大井俣に仮宮を造営して安置したことに始まるという。その後新羅三郎義光が康平年中(一〇五八―六五)に奥州から帰陣する際に当地に立寄り、窪の地に遷座させたと伝える(甲斐国志)。貞観四年上卯日に祈年祭を、次いで一一月上卯日に相嘗祭を初めて執行し、翌年八月一五日には勅命により大神事が執行されたという。また天慶三年(九四〇)平将門の乱を鎮圧するに際し、勅命によって大宮司が設置され、康平五年新羅三郎義光が前九年の役の末期にその平定祈願し、翌年八月平定成就により社殿を再建した。また堀河天皇が嘉保元年(一〇九四)勅願によって奥州平定の祈願として、八幡やわた八ヵ郷と笛吹川東五ヵ郷を当社の社領として寄付したというが、詳細は不明(社記)。「延喜式」神名帳にみえる山梨郡「大井俣オホイマタノ神社」は当社のこととされるが、事実関係は不詳。大井俣神社は「三代実録」によれば、貞観五年一二月九日に官社に列せられ、同七年三月二六日に正五位下に叙せられた。天慶三年九月四日には従四位下になっている(日本紀略)

当社は若宮をはじめ大小七五社に及ぶ末社を抱え、大宮司が統括していた。また大宮司配下の社家衆二二家・巫子四家・神人七家の合せて三三家を数えた。また別当寺神宮じんぐう寺上之坊で、真言宗新義派に属し、普賢菩薩本尊とすることから普賢ふげん寺ともよばれ、清僧六坊・本山修験五坊、末寺に清水寺・文殊院・瑞応院があった(甲斐国志・社記)。文明一一年(一四七九)普賢堂が建立されている。永正八年(一五一一)には御供所が建立された。同一一年一二月一八日に鳥居が建立され、その笠木は裂石さけいし(現塩山市雲峰寺)から同三年にすでに伐採されていたものを使用している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

デジタル大辞泉プラス 「大井俣窪八幡神社」の解説

大井俣窪八幡神社

山梨県山梨市にある神社。859年創建。武田信玄が戦勝祈願を行ったとされる。本殿拝殿、鳥居などが国の重要文化財に指定されている。

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