大学事典 「大学法人化論」の解説
大学法人化論
だいがくほうじんかろん
[第2次世界大戦前の法人化論]
日本の国立大学(法人)は,1877年(明治10)の東京大学創設以降,国立大学法人法(平成15年法律第112号)に基づく2004年(平成16)4月の法人移行に至るまで,戦前・戦後を通じ一貫して独立した法人格を持たない国の機関であった。しかし,大学の法人化自体は,すでに帝国大学時代から何度も議論されてきた経緯がある。早くも帝国大学が成立して間もない1889年4月には,外山正一(文科大学長)等の帝国大学教授6名が「帝国大学独立案私考(日本)」を取りまとめ,「帝国大学ハ其業務ノ性質ニ於テ宜シク一個ノ独立体ニ為スベシ」との議論が政府内で起こっているとした上で,「帝国大学條例」と題する法律案の形をとって,帝国大学を「天皇ノ特別保護ノ下ニ立チ法律上一個人トク権利ヲ有シ義務ヲ負担シ其事務ヲ自理スルモノ」とし,天皇により特選・信任せられた親王を総裁に戴き,皇室の保護金,授業料その他の収入金をもって維持されるべきことを掲げた。同年5月に飯島魁(理科大学教授)等の帝国大学教授グループが作成した「帝国大学組織私案」においても,「帝国大学ヲ政府部内ヨリ分離独立セシメテ法律上一個人ノ資格ヲ有スル自治体トナス事」の必要性が「天下輿論ノ許ス所」となっているなどと述べ,「大学ノ独立ヲ維持シ其自治ノ実ヲ挙クル」ために重要となる大学の内部組織について提案を行っている。
当時,政府部内でも法人化が検討されており,帝国大学を法人化する旨の規定が盛り込まれた帝国大学令改正案草稿が残されている(早稲田大学蔵大隈文書)。1889年の大日本帝国憲法発布を経て,翌90年に帝国議会開設を控えていたこの時期,政府や大学関係者の間では,議会による帝国大学予算への掣肘をいかに回避するかが喫緊の課題となっており,これらの法人化案の背景にも,財政的独立により帝国大学の特別の地位を維持することへの関心があったものとみられる。大学独立論(日本)は広く関心を集め,新聞・雑誌にも盛んに関連記事が掲載された。帝国大学の法人化は実現しなかったが,このときの議論は1890年の官立学校及図書館会計法(明治23年法律第26号),次いで1907年の帝国大学特別会計法(明治40年法律第19号)に基づく大学の特別会計制度導入(日本)につながり,ある程度の財政的自立の獲得として結実した面がある。その後,大学の特別会計制度は,数次の法改正を経て,第2次世界大戦後の1947年(昭和22)にいったん廃止されるものの,64年の国立学校特別会計法(昭和39年法律第55号,国立大学法人化に伴い廃止)の制定まで継承されることとなる。
[第2次世界大戦後の法人化論]
1962年(昭和37)になると,のちに文部大臣となる永井道雄(当時,東京工業大学助教授)が「大学公社」論を雑誌『世界』に公表し,国立大学を当時の専売公社や電電公社と同様の公社に移行することにより,大学の自治を強化するとともに,責任ある研究教育計画の実施や運営の効率化を図ることを提言した。「大学公社」論は,大学紛争が激化した7年後の1969年に『中央公論』誌上で再び発表されたが,このときは既存の国立大学を公社に転換するのではなく,それらの既存校と併存する形で新たに大学公社を設立し,相互の競争と緊張関係を生み出そうとする案になっている。1969年の国会(常会)では,大学紛争の収拾策が議論されたが,旧民社党が提出した大学基本法案(第61回国会衆法第44号)の中には,公共的性格を有する大学法人のみが大学を設置できることとする規定が盛り込まれた(審議未了により廃案)。当時の大学改革論議の中では,東京大学の大学改革準備調査会管理組織専門委員会(日本)による1970年3月の報告書も法人化論を取り上げており,最終的な結論として採用するには至らなかったものの,検討の過程で大学行政を所管する国レベルの機関として特殊法人である「大学公社」を新設する案や,個々の大学に法人格を与え「大学法人」とする案に言及している。
紛争後の1971年には,中央教育審議会の答申(いわゆる四六答申(日本))において,高等教育改革の基本構想の一つとして,国公立大学の設置形態の見直しが掲げられ,国公立大学が自律性と自己責任をもって運営されるものになるために,①公費の援助を受けて自主的に運営し,それに伴う責任を直接負担する公的な性格をもつ新しい形態の法人とするか,②法人化を見送る場合,大学の管理運営の責任体制を確立するとともに,設置者との関係を明確化するため,大学管理組織に抜本的改善を加え,学外有識者を加えた新しい管理機関を設置すること等が提案された。同時期に公表されたOECD教育調査団の報告書も,この答申をまとめた中央教育審議会の議論に言及し,国立大学を法人化する場合には,5年程度の長期予算を与え,その使途を自由化することや,新たな大学管理機構として,理事会のような法人を代表する組織を設けることを推奨している。
[臨時教育審議会以降の法人化論]
1980年代に入ると,イギリス等の小さな政府路線に基づくNPM(新公共経営)の国際的潮流を背景に,日本でも第2次臨時行政調査会答申を受けて三公社の民営化等が進められる中,臨時教育審議会(日本)において,国公立大学の設置形態の見直しが検討の俎上に上り,特殊法人として位置付ける可能性について具体的な検討が重ねられた。1987年(昭和62)4月の同審議会第3次答申では,国の関与のあり方,管理・運営の制度,教職員の身分等の点でなお考慮すべき事項が多く,さらに調査研究を必要とするとして,当面,従来の設置形態を維持しつつ,規制緩和や管理・運営の自主性強化等の改革を進めるとしたものの,一方で特殊法人化の提案は,大学の自主・自律性を確立する上で有益な示唆を与えるものであると述べ,政府・大学関係者に対し,新たな設置形態創造のため,中長期的に積極的な調査研究を進めるよう要請している。文部省や国立大学の側は法人化に消極的だったといわれるが,この頃には,たとえば民間の政策研究グループである「政策構想フォーラム」から公表された「学校教育行政の行革提言(日本)」(1985年5月)の中で,国公立大学の特殊法人または民間法人への移行の構想が示されるなど,国立大学の法人化は議論として決して聞き慣れないものではなくなっていた。
1990年代後半に行政改革が始まり,中央省庁改革とともに独立行政法人制度(日本)の創設が固まると,国立大学の独立行政法人化も議論されるようになった。1999年(平成11)4月の閣議決定「国の行政組織等の減量,効率化等に関する基本的計画」では,大学の自主性を尊重しつつ,大学改革の一環として国立大学の法人化を検討し,2003年までに結論を得るとした。ここに至り,従来消極的だった文部省や国立大学協会の検討も本格化し,さらに2001年6月の経済財政諮問会議において,遠山敦子文部科学大臣(当時)が提出した「大学(国立大学)の構造改革の方針」(いわゆる遠山プラン(日本))の中に,新しい国立大学法人への早期移行が掲げられたことにより,その後の国立大学法人化に向けた流れが決定的となった。こうして国立大学法人法(平成15年法律第112号)が制定され,明治以来議論が続いてきた法人化が現実のものとなった。しかし,法人化後10年余が経過し,運営費交付金の削減や法人化に伴う事務量増加等が指摘され,教育研究現場の疲弊が懸念されるなど,課題も少なくない。国民の負託を受けた国立大学の使命遂行にふさわしい設置形態とその運営のあり方については,今後も不断の見直しが必要であろう。
著者: 寺倉憲一
参考文献: 寺﨑昌男『増補版日本における大学自治制度の成立』評論社,2000.
参考文献: 高木英明『大学の法的地位と自治機構に関する研究―ドイツ・アメリカ・日本の場合』多賀出版,1998.
参考文献: 天野郁夫「国立大学の財政制度―歴史的展望」『国立大学の財政・財務に関する総合的研究(『国立大学財務センター研究報告』第8号)』国立大学財務センター,2003.12.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報