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飯島魁 いいじまいさお

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

飯島魁
いいじまいさお

[生]文久1(1861).6.17. 浜松
[没]1921.3.14
動物学者。東京開成学校を経て東京大学理学部生物学科卒業 (1881) 。ライプチヒ大学で R.ロイカルトに師事した (82~84) 。東京大学教授 (86~1920) として日本における動物学の創設に貢献,1906年帝国学士院会員。海綿動物をはじめ,鳥類,寄生虫の研究に従事。著書に『動物学提要』 (18) などがある。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
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デジタル大辞泉の解説

いいじま‐いさお〔いひじまいさを〕【飯島魁】

[1861~1921]動物学者。静岡の生まれ。東大教授。海綿・人体寄生虫・鳥など広範囲にわたる研究を行い、日本の近代動物学の基礎を築いた。著「動物学提要」など。

出典|小学館
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百科事典マイペディアの解説

飯島魁【いいじまいさお】

動物学者。浜松に生まれ,東大生物学科卒業後,ドイツに留学。のち東大教授として日本の近代動物学建設に貢献。海綿動物の研究をはじめ,鳥学,寄生虫学などに寄与。大著《動物学提要》(1918年)は多年にわたり日本の標準的動物学教科書となった。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

飯島魁 いいじま-いさお

1861-1921 明治-大正時代の動物学者。
文久元年6月17日生まれ。ドイツのライプチヒ大に留学。明治19年帝国大学教授となり,37年三崎臨海実験所長。日本の近代動物学の先駆者のひとりで,海綿類のほか,寄生虫,鳥類の研究で知られる。39年学士院会員。大正10年3月14日死去。61歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。東京大学卒。著作に「人体寄生動物編」「動物学提要」。

出典|講談社
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朝日日本歴史人物事典の解説

飯島魁

没年:大正10.3.14(1921)
生年:文久1.6.17(1861.7.24)
明治大正期の動物学者。浜松城下(浜松市)の藩士の家に生まれ,明治10(1877)年東大に入り動物学を学ぶ。在学中にモースの教えを受け,卒業後ドイツに留学し,明治19年帝大(東大)教授。昭和前半までの動物分類学者のうち,昆虫学者以外の大半が彼の薫陶を受けた。海綿の研究で世界的に著名であるほか,『人体寄生動物編』(1888)は日本の寄生虫学の第一歩となり,『日本の鳥目録』(1891)は日本人による鳥類研究および現和名の出発点となった。『動物学提要』(1918)は明治大正の日本動物学を集大成した名著。草創期にまさに適した,幅広く堅実な学者だった。

(磯野直秀)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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大辞林 第三版の解説

いいじまいさお【飯島魁】

1861~1921) 動物学者。静岡県生まれ。東大卒。海綿の研究と、鳥・寄生虫に関する研究が多い。著「動物学提要」など。

出典|三省堂
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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

飯島魁
いいじまいさお
(1861―1921)

動物学者。遠江(とおとうみ)国(静岡県)浜松に生まれ、東京開成学校を経て、1881年(明治14)東京大学理学部生物学科を卒業。1882~1885年ドイツのライプツィヒ大学に留学、ロイカルトのもとで動物学、寄生虫学を修め、ウズムシ類の研究や単生虫の生殖腸管の発見などの業績を残した。帰国後の1886年、26歳で東京帝国大学の教授となり、動物学と寄生虫学の講義を受け持つ。その研究は、カイメン類、ウズムシ類、寄生虫類、ヒル類、鳥類など広範囲にわたり、寄生虫では広節裂頭条虫(日本海裂頭条虫)の幼虫をマスにみつけ、自体感染によりマスが中間宿主になることを明らかにしたり、大複殖門条虫の人体寄生第一例の発見などの業績がある。日本における近代動物学の基礎を築き、五島清太郎(せいたろう)など優秀な門下生が輩出した。『人体寄生動物編』(1888)、『動物学提要』(1918)などの著書がある。[町田昌昭]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)
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世界大百科事典内の飯島魁の言及

【陸平貝塚】より

…霞ヶ浦の西岸に突き出る稲敷台地上の,茨城県稲敷郡美浦村に存在する縄文時代中・後期の鹹水(かんすい)産貝塚。E.S.モースの弟子で大森貝塚の調査にも参加した佐々木忠次郎,飯島魁が,1879年に,霞ヶ浦に淡水貝類の調査に赴いた折にこの貝塚を発見し,発掘したもので,日本人の手になる発掘の第1号として有名である。この成果は大森貝塚の報告体裁を見本とし,《Okadaira Shell Mound at Hitachi》(1882)として刊行された。…

【水族館】より

…海水槽20,淡水槽9基のこの水族館には,日本最初の循環装置がとりつけられた。これは当時東大教授で動物学界のリーダーであった飯島魁の指導によるものであった。1903年に開設された堺水族館(当初は第5回内国勧業博覧会の施設であったが,後に堺市立となる)も飯島の指導によってろ過循環装置をそなえ,大水槽(幅7.2m,奥行2.4m,水深1.7m)を実現した画期的なもので,いわゆる水族館とよべる本格的な施設であった。…

※「飯島魁」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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