精選版 日本国語大辞典 「大山捨松」の意味・読み・例文・類語
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会津藩家老山川尚江(なおえ)の末娘で、幼名を咲子という。幼少時、会津戦争、陸奥斗南(となみ)(下北半島)への移住等の苦難にあい、一時、箱館(現函館市)のフランス人の家庭に預けられた。1871年(明治4)北海道開拓使派遣の官費女子留学生の一人として、津田梅子らと渡米、ニュー・ヘヴンのレナード・ベーコン牧師宅に寄宿し、在米中にクリスチャンとなる。教育は、地元の高校を卒業後、バッサー大学の正規課程を修め、さらに、コネティカットの看護婦養成学校で2ヶ月間研修を受けた。1882年、帰国し、翌年、参議陸軍卿(後に元帥陸軍大将議定官、公爵)大山巌(いわお)と結婚。鹿鳴館の花形の一人として活躍した。特に日本初の慈善バザーを主導し、その収益を有志共立東京病院に寄付したことはよく知られている。大山巌の3人の連れ子に加え、2男1女に恵まれたが、徳富蘆花(ろか)『不如帰(ほととぎす)』に登場する意地の悪い継母のモデルとされて、世間的に誤解を受けたこともある。日本赤十字社篤志看護婦人会理事、愛国婦人会理事等を務めたほか、津田梅子を助け、女子英学塾の理事として女子教育の向上に努めた。
[小檜山ルイ]
『久野明子著『鹿鳴館の貴婦人大山捨松』(1988・中公文庫)』
(久野明子)
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