精選版 日本国語大辞典 「大島伯鶴」の意味・読み・例文・類語 おおしま‐はっかく【大島伯鶴】 講談師。本名は保利。実父伯鶴から離れ、松林伯円のもとで修行。本格的芸風と新鮮な演出で昭和の講談界をリードした。明治一〇~昭和二一年(一八七七‐一九四六) 出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例 Sponserd by
新撰 芸能人物事典 明治~平成 「大島伯鶴」の解説 大島 伯鶴(2代目)オオシマ ハッカク 職業講談師 本名大島 保利 別名前名=大島 芝鶴,大島 小伯鶴 生年月日明治10年 4月8日 出生地東京 経歴講談師松林伯鶴(大島光利)の子で、12歳から講談修業。芝鶴、小伯鶴と名乗り、明治末、父が大島東玉と改名して2代目大島伯鶴を継いだ。「寛永三馬術」や西村天囚原作「快男児」などが得意で、ラジオでも放送され、6代目一龍斎貞山とならぶ人気だった。枠を破って一般大衆にうける語り口が特徴だった。 没年月日昭和21年 4月2日 (1946年) 家族父=松林 伯鶴(初代) 大島 伯鶴(初代)オオシマ ハッカク 職業講談師 本名大島 光利 生年月日安政4年 経歴白川藩士の家に生まれ、2代目松林伯円の門に入り大島円鶴と名乗る。明治36年大島伯鶴に、その後大島東玉と名乗った。一時は従軍講談師もつとめた。 没年月日大正1年 12月21日 (1912年) 出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報 Sponserd by
日本大百科全書(ニッポニカ) 「大島伯鶴」の意味・わかりやすい解説 大島伯鶴おおしまはっかく 講釈師。初代(1857―1912)本名大島光利。2代目松林(しょうりん)伯円の四天王の一人といわれ、松林伯鶴を名のるが、3代目伯円襲名問題で松林を返し、1903年(明治36)本姓を名のる。足尾鉱毒事件など新聞読みを得意とした。[延広真治]2代(1877―1946)本名大島保利。初代の実子。親子では本格的修業ができぬと一時旭堂(きょくどう)南慶に預けられ、小伯鶴より2代目を襲名。邪道視もされたが素人(しろうと)受けする明るい芸風で、『寛永(かんえい)三馬術』『快男子』などを得意とし、ラジオを通じ、全国で絶大な人気を博し、お座敷をもっぱらとした。[延広真治] 出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例 Sponserd by
20世紀日本人名事典 「大島伯鶴」の解説 大島 伯鶴(2代目)オオシマ ハッカク 明治〜昭和期の講談師 生年明治10(1877)年4月8日 没年昭和21(1946)年4月2日 出生地東京 本名大島 保利 別名前名=大島 芝鶴,大島 小伯鶴 経歴講談師松林伯鶴(大島光利)の子で、12歳から講談修業。芝鶴、小伯鶴と名乗り、明治末、父が大島東玉と改名して2代目大島伯鶴を継いだ。「寛永三馬術」や西村天囚原作「快男児」などが得意で、ラジオでも放送され、6代目一龍斎貞山とならぶ人気だった。従来の枠を破って一般大衆にうける語り口が特徴だった。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大島伯鶴」の解説 大島伯鶴(2代) おおしま-はっかく 1877-1946 明治-昭和時代の講談師。明治10年4月8日生まれ。初代伯鶴の子。大正8年2代を襲名。6代一竜斎貞山とラジオ,レコードを通じて人気を二分した。得意の演題に「寛永三馬術」「笹野名槍伝」「快男児」などがある。昭和21年4月2日死去。70歳。福島県出身。本名は保利。 大島伯鶴(初代) おおしま-はっかく 1857-? 明治時代の講談師。安政4年生まれ。2代松林(しょうりん)伯円の弟子となり,伯円四天王のひとりといわれた。松林伯鶴を名のったが,明治36年に本姓の大島にもどした。本名は光利。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by
367日誕生日大事典 「大島伯鶴」の解説 大島 伯鶴(2代目) (おおしま はっかく) 生年月日:1877年4月8日明治時代-昭和時代の講談師1946年没 出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報 Sponserd by