大平峠(読み)おおだいらとうげ

日本歴史地名大系 「大平峠」の解説

大平峠
おおだいらとうげ

木曾山脈の南部にあり、飯田と木曾を結ぶ通称大平街道(現県道幸助こうすけ飯田線)の郡境に位置する。標高一三五八メートル。木曾峠ともいう。

大平峠を越す木曾道(大平道)起源は明らかでないが、正保年間(一六四四―四八)の頃と推定される信州伊奈郡之絵図(市立飯田図書館蔵)に、この道にあった市之瀬いちのせ番所が記されているので、近世初期には既に利用されていたことが明らかである。峠の西、木曾側へ下った大山おおやま(現木曾郡南木曾なぎそ町)清内路せいないじ(一一九二メートル)越えの木曾道と合して中山道妻籠つまご宿(現南木曾町)に至る。明暦元年(一六五五)に飯田城主脇坂氏が大坂加番を命じられた時、道の改修が行われ、以後しだいに人馬の往来が盛んになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大平峠」の意味・わかりやすい解説

大平峠
おおだいらとうげ

長野県南西部、木曽山脈(きそさんみゃく)の南部を東西に横断する峠。木曽峠ともいう。標高1358メートル。飯田市(いいだし)と木曽谷南部の南木曽町(なぎそまち)妻籠(つまご)を結ぶ通称大平街道の峠で、近世初期以来、中山道(なかせんどう)の宿場(しゅくば)妻籠で荷を積み換え木曽山脈を横断した物資の輸送路で、多くの物資運送の馬が通り、中央本線や飯田線が開通したのちも盛んに利用された。1919年(大正8)には定期バスも運行されたほどである。しかし、昭和40年代初めからは急速に交通量が少なくなり、バス運行が廃止されただけでなく、峠の東にある大平街道の宿駅であった大平集落28戸も1970年(昭和45)には全戸離村し廃村になった。近年大平集落の保存運動がおきている。街道には茶屋がいまなおあり、峠からの眺めはよく、道標も残されている。

[小林寛義]

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世界大百科事典(旧版)内の大平峠の言及

【木曾山脈】より

… 木曾山脈は古くから木曾谷と伊那谷の東西交通の障壁となってきた。古代の峠道として利用された神坂(みさか)峠(1595m)付近の地下を,恵那山トンネル(中央自動車道)が通過し,また清内路峠(1192m)を国道256号線が通過して便利になったところもあるが,大平峠(木曾峠,1358m)や上伊那郡の牛首峠(1072m)などの交通路は不完全である。木曾谷におけるかつての中山道や現在の中央本線(西線),国道19号線,伊那谷におけるかつての三州街道や現在の飯田線,国道153号線などは,いずれも木曾山脈の一般走向に並走している。…

※「大平峠」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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