大恩寺(読み)だいおんじ

日本歴史地名大系 「大恩寺」の解説

大恩寺
だいおんじ

[現在地名]御津町広石 御津山

標高九四・四メートルの御津山(大恩寺山)の北麓にある。浄土宗、御津山と号す。本尊日本三体仏憂喜安志把富貴如来。寺伝によると、初め浄光院と称する三論系の寺であったが、応永年間(一三九四―一四二八)廃絶しかけていたのを、文安二年(一四四五)新宮しんぐう山に再興して浄土宗に改め、寺号も大運だいうん寺と改称。のち文明年中(一四六九―八七)勅許を受けて現在の御津山に移したという。なお「御湯殿上日記」の明応八年(一四九九)三月二三日条に、三河大運寺を勅願所とする旨記された大運寺が当寺にあたるか。


大恩寺
だいおんじ

[現在地名]寝屋川市秦町 垣内

浄土宗、山号法蔵山、本尊阿弥陀如来。慈忍(延宝三年没)起草と伝える秦河勝広隆卿伝(西嶋家蔵)は、山城国葛野かどの郡に勢力をもった渡来系氏族の秦河勝が大和国十市とおち秦楽寺じんらくじ村秦楽寺、山城国葛野郡太秦うずまさ広隆こうりゆう寺、河内国高安郡教興寺きようこうじ村教興寺(現八尾市)とともに創建し、阿弥陀仏聖徳太子の両像を安置、大恩寺と号したという。古代・中世の寺歴は不明だが、寺伝によれば文禄年中(一五九二―九六)にはまったく荒廃して境内は田畑となり、本尊阿弥陀仏以下旧記・宝物なども散逸していたという。


大恩寺
だいおんじ

[現在地名]朝地町板井迫

平井ひらい川北岸にある。金海山と号し、高野山真言宗。本尊は釈迦如来。日羅の開基と伝え、永禄年中(一五五八―七〇)に志賀道翁により営まれたという。寺背後には道翁の墓があった(豊後国志)。天正一一、二年(一五八三、八四)頃と推定される一〇月二三日付の志賀伊勢入道宛大友義統書状写(大恩寺文書)には、塩法師(義乗)の母の祈祷を大恩寺・円福寺両法印が特別に精誠に励んだことへの感謝が述べられており、戦国末期には再興されていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

事典・日本の観光資源 「大恩寺」の解説

大恩寺

(東京都北区)
〔東京都〕北区景観百選指定の観光名所。

出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報

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