大木惇夫(読み)オオキ アツオ

20世紀日本人名事典 「大木惇夫」の解説

大木 惇夫
オオキ アツオ

大正・昭和期の詩人,作詩家



生年
明治28(1895)年4月18日

没年
昭和52(1977)年7月19日

出生地
広島県広島市

本名
大木 軍一

別名
筆名=大木 篤夫

学歴〔年〕
広島商(旧制)卒

主な受賞名〔年〕
大東亜文学賞〔昭和18年〕「海原にありて」

経歴
3年間銀行に務めたのち博文館に勤務。この頃、植村正久から受洗する。大正10年「大阪朝日新聞」の懸賞に小説が当選する。11年「詩と音楽」に詩作を発表し、以後北原白秋門下の詩人として活躍。14年「風・光・木の葉」を刊行。以後「危険信号」「カミツレ之花」などを刊行し、昭和18年「海原にありて」で大東亜文学賞を受賞。戦後も「山の消息」「風の詩集」などを刊行。ほかに小説集、童話集、歌謡集などもある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大木惇夫」の意味・わかりやすい解説

大木惇夫
おおきあつお
(1895―1977)

詩人。広島市の生まれ。本名軍一、初期の筆名は篤夫。広島商業学校卒業。上京後、植村正久より受洗。北原白秋の知遇を得て『詩と音楽』に詩作を発表。詩集は『風・光・木の葉』(1925)以下『失意の虹(にじ)』(1965)など15冊、繊細な短歌的叙情特色をみせる。児童文学歌謡曲作詞、白秋の伝記小説『天馬のなげき』(1951)もある。

[角田敏郎]

『『大木惇夫詩全集』全3巻(1969・金園社)』『藪田義雄著「大木惇夫」(『現代詩鑑賞講座5』所収・1968・角川書店)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大木惇夫」の意味・わかりやすい解説

大木惇夫
おおきあつお

[生]1895.4.18. 広島
[没]1977.7.19. 東京
詩人。本名,軍一。筆名は篤夫も用いた。広島商業学校卒業。 1921年『大阪朝日新聞』の懸賞小説に当選。小田原に移り,北原白秋の門に入り,25年処女詩集『風・光・木の葉』を刊,白秋の抒情を継承した香気ある詩風で詩人としての地位を定めた。ほかに『秋に見る夢』 (1926) ,『危険信号』 (30) ,『冬刻詩集』 (38) ,『物言ふ蘆』 (49) ,『失意の虹』 (65) などの詩集がある。第2次世界大戦中には愛国詩や歌謡曲の作詞で人気を得た。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大木惇夫」の解説

大木惇夫 おおき-あつお

1895-1977 大正-昭和時代の詩人。
明治28年4月18日生まれ。博文館に勤務中の大正10年「大阪朝日新聞」の懸賞小説に入選する。北原白秋に師事,14年第1詩集「風・光・木の葉」を発表。歌謡曲の作詞に「国境の町」がある。昭和52年7月19日死去。82歳。広島県出身。広島商業卒。本名は軍一。詩集はほかに「危険信号」「失意の虹」など。

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367日誕生日大事典 「大木惇夫」の解説

大木 惇夫 (おおき あつお)

生年月日:1895年4月18日
大正時代;昭和時代の詩人
1977年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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