改訂新版 世界大百科事典 「大村氏」の意味・わかりやすい解説
大村氏 (おおむらうじ)
肥前国彼杵(そのぎ)郡大村を名字の地とした領主。藤原純友の子孫と称す。大村家信が1289年(正応2)蒙古合戦の恩賞として肥前神崎荘で田地3町と屋敷を配分されており,同氏の蒙古合戦への参戦がわかるほか,同氏が鎌倉御家人であった可能性を示している。鎌倉末期には大村が含まれる彼杵荘内に少なくとも五つの大村を名のる家があったことがわかり,1333年(元弘3)10月大村太郎,大村三郎入道らは守護大友貞載より深堀明意らの乱妨を停止するよう命ぜられ,35年(建武2)10月30日に大村平太入道は筑後豊福原合戦に武家方として参戦している。時代がとぶが1539年(天文8)1月29日以前に大村純前(すみあき)は有馬氏らとともに上京しているが,このとき国元で京商人に為替銭7000疋を渡し,京都で5000疋受けとっているのは金融,流通史の面で興味深い。また同年閏6月3日に純前は将軍足利義晴と対面を遂げており,室町幕府の奉公衆としての待遇をうけている。その養子大村純忠はキリシタン大名,長崎の教会への寄進者として有名。その子喜前(よしあき)は豊臣-徳川への変遷を生きぬき,子孫は2万7000余石の大名。維新後子爵のち伯爵。
→大村藩
執筆者:木村 忠夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報