大橋新太郎(読み)オオハシシンタロウ

デジタル大辞泉 「大橋新太郎」の意味・読み・例文・類語

おおはし‐しんたろう〔おほはしシンタラウ〕【大橋新太郎】

[1863~1944]実業家新潟の生まれ。父佐平とともに明治14年(1881)に「越佐毎日新聞」を創刊。上京して博文館創立、出版界に貢献した。のち、衆議院議員貴族院議員。

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精選版 日本国語大辞典 「大橋新太郎」の意味・読み・例文・類語

おおはし‐しんたろう【大橋新太郎】

  1. 実業家。新潟県の生まれ。明治一四年(一八八一)、父佐平とともに「越佐毎日新聞」を創刊。上京して博文館を創業し、出版界で成功した。大正一五年(一九二六)貴族院勅選議員となる。文久三~昭和一九年(一八六三‐一九四四

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新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「大橋新太郎」の解説

大橋 新太郎
オオハシ シンタロウ


肩書
衆院議員(壬寅会),貴院議員(勅選),博文館創立者,日本工業倶楽部理事長

生年月日
文久3年7月29日(1863年)

出生地
越後国長岡(現・新潟県長岡市)

経歴
明治14年父と「北越新聞」を発行した後、「越佐毎日新聞」を創刊、また大橋書店を経営。19年上京し、20年父と共に本郷弓町に博文館を創設、「日本大家論集」を発行、続いて「日本之商人」「日本之殖産」「日本之女子」「日本之教学」など雑誌を次々創刊して成功した。28年には「太陽」「少年世界」「文芸倶楽部」などを創刊。34年父の死で館主となり、父の遺志を継いで日本初の私立図書館・大橋図書館を創立、大橋育英会も興し、貸費生を養った。また早大、慶大に図書館を寄贈した。35年衆院議員に当選、38年東京商業会議所副会頭、39年中国に渡り、東亜製粉、南満製粉、満豪毛織などを創立、社長となった。また朝鮮興業、大日本麦酒、日本硝子などの会長を務め、さらに王子製紙、白木屋、三共製薬、三井信託などの役員となり、関係会社70余社に及んだ。大正15年勅選貴族院議員、東京商業会議所特別議員、昭和10年日本工業倶楽部理事長となり、14年同評議員会会長となった。

没年月日
昭和19年5月4日

家族
父=大橋 佐平(博文館創立者)

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20世紀日本人名事典 「大橋新太郎」の解説

大橋 新太郎
オオハシ シンタロウ

明治〜昭和期の出版人,実業家 博文館創立者;日本工業倶楽部理事長;衆院議員(壬寅会);貴院議員(勅選)。



生年
文久3年7月29日(1863年)

没年
昭和19(1944)年5月4日

出生地
越後国長岡(現・新潟県長岡市)

経歴
明治14年父と「北越新聞」を発行した後、「越佐毎日新聞」を創刊、また大橋書店を経営。19年上京し、20年父と共に本郷弓町に博文館を創設、「日本大家論集」を発行、続いて「日本之商人」「日本之殖産」「日本之女子」「日本之教学」など雑誌を次々創刊して成功した。28年には「太陽」「少年世界」「文芸倶楽部」などを創刊。34年父の死で館主となり、父の遺志を継いで日本初の私立図書館・大橋図書館を創立、大橋育英会も興し、貸費生を養った。また早大、慶大に図書館を寄贈した。35年衆院議員に当選、38年東京商業会議所副会頭、39年中国に渡り、東亜製粉、南満製粉、満豪毛織などを創立、社長となった。また朝鮮興業、大日本麦酒、日本硝子などの会長を務め、さらに王子製紙、白木屋、三共製薬、三井信託などの役員となり、関係会社70余社に及んだ。大正15年勅選貴族院議員、東京商業会議所特別議員、昭和10年日本工業倶楽部理事長となり、14年同評議員会会長となった。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「大橋新太郎」の意味・わかりやすい解説

大橋新太郎
おおはししんたろう
(1863―1944)

実業家。新潟県に生まれる。1881年(明治14)父佐平と『越佐(えっさ)毎日新聞』を発刊する。1887年東京で博文館を創設、『日本大家論集』で成功したのち、多くの図書出版で業界に地歩を築いた。1901年(明治34)日本最初の私立図書館(大橋図書館)を設立。1905年東京商工会議所副会頭に就任。以後財界人としても活躍し、大日本麦酒(ビール)、王子製紙、三井信託など七十数社に関係した。1926年(大正15)貴族院議員に勅選。1935年(昭和10)日本工業倶楽部(くらぶ)理事長に就任。共同印刷の創業者大橋光吉(1875―1946)は義弟である。

[小早川洋一]

『坪谷善四郎著『博文館五十年史』(1937・博文館)』

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「大橋新太郎」の解説

大橋新太郎 おおはし-しんたろう

1863-1944 明治-昭和時代前期の実業家。
文久3年7月29日生まれ。大橋佐平の3男。上京して明治20年父とともに博文館を設立。「日本大家論集」「太陽」などおおくの雑誌を刊行し,日本有数の出版社とする。35年衆議院議員。のち貴族院議員。大日本麦酒(ビール),日本硝子(ガラス)などの役員をつとめた。昭和10年日本工業倶楽部(クラブ)理事長。昭和19年5月5日死去。82歳。越後(えちご)(新潟県)出身。

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367日誕生日大事典 「大橋新太郎」の解説

大橋 新太郎 (おおはし しんたろう)

生年月日:1863年7月29日
明治時代-昭和時代の実業家;出版人。博文館社長
1944年没

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