出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
岩手県大船渡市赤崎町大洞,大船渡湾に面した低い台地の鞍部にある縄文時代晩期の貝塚。貝層は南斜面に1ヵ所,北斜面に2ヵ所分布する。古くから数多くの研究者が調査しているが,1926年の東北大学医学部の長谷部言人,山内清男による発掘が有名である。この発掘は石器時代人骨の採集が主目的で,屈葬人骨や甕に入れられた嬰児骨などが合計16体発見された。また山内は発掘地点によって土器の特色が違っているのに注目し,これらの土器を標式資料として,東北地方の縄文時代晩期の土器を6型式に細分し,大洞B・BC・C1・C2・A・A′式の順に編年した。貝層はアサリを中心とする内湾性のものであるが,マグロ,ブリ,マダイ,スズキなどの多種類の魚骨とともに,発達した鹿角製の銛,簎(やす),釣針などの漁具が多数出土し,漁労活動が盛んであった三陸沿岸の縄文時代後・晩期の貝塚の特徴をよくしめしている。
執筆者:藤沼 邦彦
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
岩手県大船渡(おおふなと)市赤崎町大洞にある縄文時代晩期の貝塚。大船渡湾岸の丘陵にある諸貝塚の一つで、湾の東岸より少し入った谷に挟まれたなだらかな丘陵にある。貝塚は丘陵の北斜面と南斜面に形成されているが、北斜面西側の崖(がけ)の上の貝塚をA地区、崖下をA′地区、北斜面東側の貝塚をB地区、これから少し離れた南斜面の貝塚をC地区とよんでいる。貝塚は古くから発掘調査が行われているが、1925年(大正14)に長谷部言人(はせべことんど)と山内清男(やまのうちすがお)とによって上記各地区の貝塚の調査が行われた。その出土資料等に基づいて、山内清男は大洞B式、BC式、C1式、C2式、A式、A′式の6型式に細分し、その順序に編年序列を行った。この編年型式が晩期の土器の編年基準として用いられている。土器のほか、石器、骨角器、貝輪なども出土している。貝塚はアサリを主とし、サメ、マグロなどの魚骨や、獣骨ではシカ、イノシシが多い。1966年(昭和41)県指定史跡となっている。
[草間俊一]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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