大通院(読み)だいつういん

日本歴史地名大系 「大通院」の解説

大通院
だいつういん

相国寺の塔頭本尊釈迦如来。応永二三年(一四一六)一一月二〇日伏見ふしみ殿(現京都市伏見区)で没した栄仁親王(伏見宮家初代、院号大通院)遺言によって、七回忌にあたる同二九年に建立された。「看聞日記」によれば、同年一月一一日に造営事始めがあり(正月一三日条)、同月三〇日に貞成親王(栄仁親王皇子)らが大光明寺に赴いて見物するなか、地蔵殿西面において立柱上棟式が行われ、四月二七日「造作大略周備了、奇麗也」とほぼ完成した。この造営費用は、貞成親王ら伏見宮家一族郎党から勧進により集められたものである(正月一三日条)。六月一二日栄仁親王皇子用健が開基として入院。栄仁親王の菩提料所として伏見殿大光明だいこうみよう寺に寄せられていた播磨国衙別納のうち石見いわみ郷が院領とされた(同書応永二三年一一月二〇日条、同二四年二月二三日条など)

大通院
だいつういん

[現在地名]吉良町寺島 御手洗

県道岡崎―横須賀線に沿う。不動山と号し、浄土宗西山深草派。本尊阿弥陀如来。寺伝によると、もと天台宗の道場で、慈覚の開くところと伝える。清和天皇勅願寺として八幡宮の神宮寺であり、二一石の除地があったが、その後頽廃した。天文元年(一五三二)に至って浄土宗に転じた。のちむろ(現西尾市)城主富永祐玉が堂宇再興。永禄四年(一五六一)東条とうじよう城の戦に当たり、吉良氏に加勢したため兵火にかかり焼失したが、寛文年中(一六六一―七三)教翁が村民と協力して本坊を建立したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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