大避神社(読み)おおさけじんじや

日本歴史地名大系 「大避神社」の解説

大避神社
おおさけじんじや

[現在地名]赤穂市坂越

坂越さこし浦の宝珠ほうじゆ山中腹に坂越湾のいき島を望んで鎮座祭神は天照皇大神・大避大明神(秦河勝)・春日大神。旧県社。千種ちくさ川流域の三十数社の大避神社の本宮。「風姿花伝」(第四神儀伝)に日本古代の猿楽起源説を記して「かの河勝、(中略)摂津国難波の浦より、うつほ舟に乗りて、風にまかせて西海に出づ。播磨の国坂越しやくしの浦に着く。浦人舟を上げて見れば、かたち人間に変れり。諸人に憑き祟りて奇瑞をなす。則、神と崇めて、国豊也。大きに荒るゝと書きて、大荒大明神と名付く。今の代に霊験あらた也。本地沙門天王にてまします」とみえる。河勝は渡来系氏族の秦氏の子孫で、氏の長として数朝に仕え聖徳太子に重用され、太子より仏像を賜り太秦うずまさ(現京都市右京区)広隆こうりゆう寺を建てた。皇極天皇三年に蘇我入鹿の難を避けて坂越浦に至り、千種川流域を開拓、大化三年(六四七)に神仙となり治暦四年(一〇六八)に正一位を授けられたという。


大避神社
おおさけじんじや

[現在地名]相生市若狭野町下土井

矢野やの川右岸、宝台ほうたい山南東の山裾に鎮座する。旧村社。祭神は大避大神・稲倉魂命・素盞嗚命。もと大避宮と称し、大僻・大酒とも記される。赤穂郡一帯に勢力をもった秦氏が、その氏神を奉祀したものとされ、本来の祭神は秦河勝と伝える。矢野庄鎮守として信仰されてきた。正安元年(一二九九)一二月一四日の例名東方地頭分下地中分分帳案(東寺百合文書、以下同文書)に当時の条里地割で一七条九坪の地を「大僻宮前」と記す。この地は「中ハサミ」と称される地で、付近に矢野庄の政所が置かれていた。下地中分線は政所付近を通ったと考えられているが、当社地は地頭方に属した。正和二年(一三一三)九月一二日の寺田範兼譲状には矢野庄例名公文職・重藤名地頭職のほかに「大僻宮別当神主・祝師職」がみえ、当時寺田氏が大僻宮の祭祀権を握っていたことがわかる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の大避神社の言及

【秦河勝】より

… (1)の桃太郎の誕生譚を思わせる話は,《本朝神社考》や《和漢三才図会》などにも引かれるが,始皇帝ではなく,始皇帝の命で不死の薬を求めて日本に来たという徐福の子孫だという伝承もある。また,(3)の大荒大明神は,現在兵庫県赤穂市にある大避(おおさけ)神社(旧県社)のことであるといい,同社には河勝がもっていたという神楽面がある。【村下 重夫】。…

※「大避神社」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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