天照寺(読み)てんしようじ

日本歴史地名大系 「天照寺」の解説

天照寺
てんしようじ

[現在地名]東吉野村大字小

おむら集落の東部に位置。南泉山と号し、曹洞宗本尊阿弥陀如来。丹生川上にうかわかみ神社(現東吉野村)神主で、興福寺大乗院門跡方の国民として勢力を有した小川氏の菩提寺で、開基は鎌倉時代とされる。天正一五年(一五八七)一二月、小川氏滅亡とともに天照寺以前にあった神光寺も焼失したと伝える。弘化二年(一八四五)興聖こうしよう(現京都府宇治市)の英種を迎えて、その末寺として再建された。江戸時代から郷内の諸寺院輪番で、春秋二季に懺法講式の修行が行われている。元禄六年(一六九三)の由緒書によると、この法要は小川氏が天照寺で郷民を代表して観音像を拝請、本尊に日々の罪穢を懺悔、郷内の安泰を祈って回向してきたが、懺法には多額の費用を要し道具の焼失や小川氏の滅亡から輪番制で施行することになったという。


天照寺
てんしようじ

[現在地名]青山町霧生

集落の東部宮の本みやのもとにある。北側の道は阿保あおより分れた阿保越参宮道の枝道の一つ塩見しおみ峠越道であった。曹洞宗。護国山と号し、本尊は釈迦如来坐像。寺伝によれば延元元年(一三三六)後醍醐天皇の勅により七堂伽藍を建立し護国山祥雲院天正てんしよう寺と称したが、のち焼失。大永三年(一五二三)大和岩田いわた(現桜井市)慶田けいでん寺三世洞俊が伊勢参宮の途次当地に宿した際霊夢を見て再建したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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