天野辰夫(読み)アマノ タツオ

20世紀日本人名事典 「天野辰夫」の解説

天野 辰夫
アマノ タツオ

大正・昭和期の国家主義運動家,弁護士 全日本愛国者団体会議顧問。



生年
明治25(1892)年2月22日

没年
昭和49(1974)年1月20日

出生地
島根県松江市

学歴〔年〕
東京帝大卒

経歴
大学在学中、上杉慎吉天皇主権説を信奉独得の皇道理論を構成。大正7年興国同志会を組織、8年興国精神復興運動に参画。弁護士を開業、12年法政大教授。15年父の経営する浜松の日本楽器争議で争議団に対抗。昭和4年愛国勤王党を結成。5.15事件失敗の後、陸軍予備中佐の安田銕之助や民間の景山正治らと、斎藤実内閣打倒と皇族内閣をめざすクーデター(神兵隊事件)を計画、決行直前の8年7月検挙された。禁錮5年だったが免訴された。14年まことむすび社などで活動、16年平沼騏一郎国務相暗殺未遂事件に連座。18年東条英機首相の暗殺を示唆して検挙された。戦後は全日本愛国者団体会議顧問、弁護士として活動。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

改訂新版 世界大百科事典 「天野辰夫」の意味・わかりやすい解説

天野辰夫 (あまのたつお)
生没年:1892-1974(明治25-昭和49)

ファシズム運動家,弁護士。島根県に生まれる。東大卒。上杉慎吉の影響をうけ,1918年東大内に興国同志会を組織し,新人会に対抗する。26年,父が社長である浜松日本楽器争議の際,日本主義労農同志会を組織して争議団を攻撃。天皇をいただく〈昭和維新〉の断行をめざし,28年全日本興国同志会,29年愛国勤労党結成の中心となる。33年7月クーデタ計画の総括主宰者となるが発覚し,検挙される(神兵隊事件)。出所後39年,日独伊軍事同盟締結要請運動に関与
執筆者:

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「天野辰夫」の解説

天野辰夫 あまの-たつお

1892-1974 大正-昭和時代国家主義者
明治25年2月22日生まれ。東京帝大在学中上杉慎吉の影響をうけ,大正8年新人会に対抗して興国同志会を結成。昭和4年愛国勤労党創立にくわわり,8年神兵隊事件で検挙される。16年平沼騏一郎(きいちろう)国務相狙撃(そげき)事件にもかかわった。昭和49年1月20日死去。81歳。静岡県出身。

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367日誕生日大事典 「天野辰夫」の解説

天野 辰夫 (あまの たつお)

生年月日:1892年2月22日
大正時代;昭和時代の国家主義者
1974年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の天野辰夫の言及

【神兵隊事件】より

…1933年愛国勤労党の天野辰夫,前田虎雄らが画策したクーデタ未遂事件。天野らは,大日本生産党の鈴木善一やかつて東久邇宮付武官であった安田銕之助予備陸軍中佐,山口三郎海軍中佐らを誘い,33年7月11日に首相官邸,牧野伸顕内大臣官邸,警視庁,政党本部,日本勧業銀行などを襲撃し,戒厳令を実施させて皇族首班内閣をつくろうとした。…

※「天野辰夫」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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