太田牛一(読み)おおたぎゅういち

精選版 日本国語大辞典 「太田牛一」の意味・読み・例文・類語

おおた‐ぎゅういち【太田牛一】

  1. 安土桃山時代武将尾張の人。通称又助など。織田信長右筆をつとめ、のち豊臣秀吉、秀頼にも仕え、和泉守を称した。著「信長公記」「太かうさまぐんきのうち」など。大永七年(一五二七)生。没年未詳

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朝日日本歴史人物事典 「太田牛一」の解説

太田牛一

没年:没年不詳(没年不詳)
生年:大永7(1527)
戦国・江戸前期の武士,軍記作者。通称を又助といい,和泉守を称した。尾張国春日井郡山田荘安食(春日井市ほか)の出身といわれる。はじめ織田信長の足軽として「弓三張之人数」に数えられ,若いころから主君信長の動静や身のまわりにおきたことがらを手控の形で残していたらしい。天正9(1581)年ごろには近江のうちで奉行も務めるほどになっていたが,翌年の本能寺の変で信長が討たれるとともに,加賀松任に隠棲。豊臣秀吉に仕えるようになるのは天正17年ごろからで,武将としてというより検地奉行とか蔵入地代官など,豊臣政権の吏僚として手腕を発揮していた。 秀吉没後,一時秀頼に仕えたが,まもなく隠退し,大坂玉造に住んで,以後,軍記の述作専念した。なかでも『信長記』15巻,これに首巻を加え全体を修補した『信長公記』16巻は,信長伝記中の最高傑作といってよく,史料としての信憑性が高いことでも定評がある。ほかに秀吉関係で『大かうさまくんきのうち』『豊国大明神臨時御祭礼記録』,徳川家康関係で『関原御合戦双紙』を残し,その他,公家関係では『今度之公家双紙』『猪隈物語』などが有名である。これら諸書の奥書で年代的にみて一番遅いのが慶長15(1610)年で,牛一の84歳に当たる。現在のところそれ以降のものが発見されていないので,死没はその直後ではないかと思われる。

(小和田哲男)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「太田牛一」の意味・わかりやすい解説

太田牛一
おおたぎゅういち
(1527―?)

安土(あづち)桃山時代の武士、軍記作家。通称又助(またすけ)、のち和泉守(いずみのかみ)となる。尾張(おわり)国(愛知県)安食(あじき)に生まれ、初め僧侶(そうりょ)であったというが、織田信長の弓衆となり奉行(ぶぎょう)を務めた。信長の死後は一時加賀松任(まっとう)に居住したが、のち豊臣(とよとみ)秀吉・秀頼(ひでより)に仕えた。信長・秀吉に近侍した経歴を生かし自身の手控えをもとに『信長公記(しんちょうこうき)』『大(たい)かうさまくんきのうち』『豊国大明神(とよくにだいみょうじん)臨時御祭礼記録』『関原御合戦双紙(せきがはらごかっせんぞうし)』『猪隈(いのくま)物語』などを著述した。1610年(慶長15)以降にかなりの高齢で没した。

[渡辺江美子]

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改訂新版 世界大百科事典 「太田牛一」の意味・わかりやすい解説

太田牛一 (おおたぎゅういち)
生没年:1527(大永7)-?

安土桃山時代の武士,軍記作者。尾張の人。通称又助。織田信長に仕えて戦功をあげ,近江の奉行,さらにその死後豊臣秀吉のもとで検地奉行,蔵入地代官などを務める。晩年は軍記の著述に専念し,1610年(慶長15)84歳に至っても述作に励んでいたことが確認できる。著作として《信長記》《大かうさまくんきのうち》《関ヶ原御合戦双紙》《今度之公家双紙(《猪隈物語》)》《豊国大明神臨時御祭礼記録》などがある。
執筆者:

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「太田牛一」の意味・わかりやすい解説

太田牛一
おおたぎゅういち

[生]大永7(1527).尾張
[没]?
安土桃山時代の武人,『信長公記』 (16巻) ,『大かうさまくんきのうち』 (1巻) などの著者。尾張国春日井郡安食村生れと伝えられる。通称又助。信長,秀吉に仕え,のち秀吉の側室京極殿 (松丸殿) 付きの士となった。この頃から信長および秀吉の功績を中心とする記録を綴っていたが,慶長 10 (1605) 年前後に完成した。ほかに『豊国大明神臨時御祭礼記録』『内府公奥州軍記』『関ヶ原御合戦双紙』『今度之公家双紙』などの著書がある。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「太田牛一」の解説

太田牛一 おおた-ぎゅういち

1527-? 戦国-江戸時代前期の武士,軍記作者。
大永(たいえい)7年生まれ。織田信長につかえ弓衆や奉行を,のち豊臣秀吉のもとで検地奉行などをつとめる。晩年は昔の主君らの軍記執筆に専念,史料的価値のたかい「信長公記」や「大(たい)かうさまくんきのうち」などをのこした。尾張(おわり)(愛知県)出身。名は資房(すけふさ)。通称は又介(助)。

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世界大百科事典(旧版)内の太田牛一の言及

【信長公記】より

太田牛一が〈日記〉に基づいて記録した織田信長の軍記。16巻16冊。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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