奥州道中(読み)おうしゅうどうちゅう

百科事典マイペディア「奥州道中」の解説

奥州道中【おうしゅうどうちゅう】

五街道の一つで,奥州街道ともいう。江戸日本橋から千住(せんじゅ)に出,陸奥白河に至る近世の幹線道路。宇都宮までは厳密には日光道中であった。宇都宮〜白河間10宿を数える。一般には白河以北,福島・仙台・盛岡・青森を経て三厩(みんまや)に至り,さらに蝦夷松前・箱館に達する仙台・松前道も含め奥州道中と称する。中世には白河以北のほぼ同様の道筋を奥州街道と称し,これは古代東山(とうさん)道の後身とされている。
→関連項目羽州街道佐渡路宿村大概帳白河藩栃木[県]

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旺文社日本史事典 三訂版「奥州道中」の解説

奥州道中
おうしゅうどうちゅう

江戸時代の五街道の一つ。江戸と奥州間の幹線道路
奥州街道ともいう。江戸と宇都宮間17宿は日光道中と兼ね,白河(福島県)まで通じる。宿駅には種々の異説がある。参勤交代に際してこの街道を通行する大名は仙台・会津・盛岡・弘前など37家で,各宿駅には人馬各25が常備されていた。

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世界大百科事典 第2版「奥州道中」の解説

おうしゅうどうちゅう【奥州道中】

江戸幕府道中奉行が支配する街道で,五街道の一つ。宿駅は白沢氏家喜連川(きつれがわ),佐久山,大田原,鍋掛越堀芦野白坂,白河の10宿。鍋掛,越堀は合宿をなす。千住~宇都宮間の17宿は日光道中に属するが奥州道中をも兼ねる。白河以北は仙台・松前道と称する脇往還で,広義には千住以北を俗に奥州街道とも呼ぶ。当初は奥州筋への道が重視されたが,日光東照宮の造営以後,千住~宇都宮間は日光道中に編入されたとも考えられる。

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世界大百科事典内の奥州道中の言及

【五街道】より

…江戸幕府が直轄した主要な五つの陸上交通路。江戸を起点として四方に達する道で,東海道中山道甲州道中日光道中奥州道中をいう。名称は1716年(享保1)に幕府が公称を一定したが,民間では中山道を中仙道,木曾街(海)道といい,甲州道中を甲州街道ということも慣用された。…

※「奥州道中」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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