五街道(読み)ゴカイドウ

デジタル大辞泉 「五街道」の意味・読み・例文・類語

ご‐かいどう〔‐カイダウ〕【五街道】

江戸時代江戸起点とした五つの主要な街道東海道中山道なかせんどう日光街道奥州街道甲州街道

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精選版 日本国語大辞典 「五街道」の意味・読み・例文・類語

ご‐かいどう‥カイダウ【五街道・五海道】

  1. 江戸時代、幕府道中奉行の管轄下にあって、江戸を起点とする主要な五つの街道。東海道、中山道、甲州街道、日光街道、奥州街道をいう。
    1. [初出の実例]「右、五海道宿々問屋、年寄間之村々名主、年寄え相触候」(出典:御触書寛保集成‐二二・正徳六年(1716)四月)

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改訂新版 世界大百科事典 「五街道」の意味・わかりやすい解説

五街道 (ごかいどう)

江戸幕府直轄した主要な五つの陸上交通路。江戸を起点として四方に達する道で,東海道中山道甲州道中日光道中奥州道中をいう。名称は1716年(享保1)に幕府が公称を一定したが,民間では中山道を中仙道,木曾街(海)道といい,甲州道中を甲州街道ということも慣用された。東海道は江戸より京都までの間に53宿あるので五十三継(次)という。また大津から大坂までも東海道として,間に4宿ある。中山道は江戸から上野,信濃などを通り,近江の草津で東海道に接続し,間に67宿ある。甲州道中は甲府を経て中山道の下諏訪宿に接続し,間に45宿がある。日光道中は日光東照宮に至るもので23宿あり,奥州道中はその途中の宇都宮から分かれて陸奥の白河までで,宇都宮まで17宿,それ以北が10宿である。甲州道中,日光道中には2宿以上が交代で継立業務を執る所があったから,旅行に際しての人馬継立場所は少なくなった。五街道に付属して,美濃路,佐屋路,本坂道(ほんさかみち)(姫街道),山崎街道,日光御成道,壬生通り,日光例幣使道,水戸・佐倉道(一部)などがあって,幕府の直轄になった。幕府ではこれらを管理するために1659年(万治2)に道中奉行を置き,大目付1名に兼ねさせ,98年(元禄11)勘定奉行の1名にも兼ねさせ,以来2名となった。街道の改修,整備,架橋,渡船,並木,宿駅,助郷,人馬賃銭に関することなどは,幕領・私領を問わず道中奉行が管轄した。東海道が最も重視されたので,宿駅の設備等もよく整備され,中山道がこれに次いだ。諸街道には関所が置かれて人改めなどをしたほか,1712年(正徳2)には東海道の品川・府中・草津,中山道の板橋・洗馬(せば)に荷物貫目改所(かんめあらためしよ)を置いて,旅人の荷物の重量超過を取り締った。改所は後に千住,宇都宮,内藤新宿,甲府,追分の各宿にも設けられた。公用旅行者や御用荷物を優先させる宿駅制度であったが,街道の整備につれて庶民の旅行も安楽になり,物資の流通,通信の発展のほか,文化の伝播(でんぱ)にも大きな役目を果たした。
街道
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百科事典マイペディア 「五街道」の意味・わかりやすい解説

五街道【ごかいどう】

江戸時代,江戸日本橋を起点とした東海道中山道甲州道中日光道中奥州道中をいう。幕府は政治・軍事上の必要からこれを直轄,道中奉行の管轄下に宿駅など整備し,一方関所を設けて統制を厳重にした。そのため参勤交代など主として公用に利用,一般の旅人は脇往還を多く通った。
→関連項目江戸街道宿村大概帳駄賃稼番所脇街道

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「五街道」の意味・わかりやすい解説

五街道
ごかいどう

江戸を起点として本州中央部を走る最重要の街道。江戸時代には一般に、東海道(品川(しながわ)~大津(おおつ)、延長して守口(もりぐち))、中山道(なかせんどう)(板橋(いたばし)~守山(もりやま))、日光道中(千住(せんじゅ)~鉢石(はちいし))、奥州(おうしゅう)道中(白沢(しらさわ)~白川(しらかわ))、甲州(こうしゅう)道中(内藤新宿(ないとうしんじゅく)または上高井戸(かみたかいど)~上諏訪(かみすわ))をさし、それぞれにはいくつかの街道が付属した。この五街道と付属の街道は、それが藩領内であっても、幕府の道中奉行(どうちゅうぶぎょう)が直接支配した点に特徴がある。もっとも当時、五街道についての明確な概念規定があったわけではなく、東海道、中山道、日光道中以外の2道を北陸道および他の1街道とし、後者の名称は不明とする枢要な地位の道中関係者もいた。なお、五街道に関する幕府の交通法令は、全国の脇(わき)街道などにも多く準用された。

丸山雍成

『児玉幸多・豊田武編『交通史』(1970・山川出版社)』『児玉幸多著『宿駅』(1960・至文堂)』

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「五街道」の解説

五街道
ごかいどう

江戸幕府道中奉行の支配下にあった主要街道。江戸を起点とする東海道(品川―大津または大坂)・中山道(板橋―草津)・甲州道中(内藤新宿―下諏訪)・日光道中(千住―日光御宮)・奥州道中(宇都宮―白河)のこと。江戸前期に整備・新設し,幕府の直轄とした。各宿には公用旅行者の荷物運送のため規定の人馬がおかれ,東海道は100人・100疋,中山道には原則として50人・50疋,中山道の木曾11宿と他の街道は25人・25疋と定められた。人馬賃銭の決定,助郷の指定などは幕府の権限とされ,道幅は4間前後で,広くて7間,箱根峠は2間であった。五街道の付属街道に,佐屋路(さやじ)・美濃路・例幣使(れいへいし)道・日光御成道・水戸路・本坂通(ほんさかどおり)(姫街道)などがあった。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「五街道」の意味・わかりやすい解説

五街道
ごかいどう

江戸時代の主要陸上交通路。徳川家康が整備した東海道中山道甲州街道日光街道奥州街道のことで,いずれも江戸を起点とする。当時最も整備されていた街道で,おもに公用に使われた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「五街道」の解説

五街道
ごかいどう

江戸時代,江戸日本橋を起点とした五つの幹線道路
本街道ともいう。東海道(53次)・中山道(69次)・甲州道中(44次)・日光道中(21次)・奥州道中(10次)をいう。慶長年間(1596〜1615)に整備され,2〜3里ごとに宿場を設け,本陣・脇本陣・旅籠 (はたご) ・問屋場などが置かれた。元来は参勤交代など主として公用のために作られた道路で,道中奉行が管轄した。警備のため要所に関所を設け,また宿場には助郷(伝馬)役が課せられた。

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とっさの日本語便利帳 「五街道」の解説

五街道

江戸日本橋を起点とする、東海道、中山道、甲州道中、日光道中、奥州道中の五つの主要街道。交通網の整備を重視した江戸幕府は、五街道を直轄して道中奉行に管理させた。箱根(東海道)などの要地には関所を設け、謀反の前触れたる“入り鉄砲に出女(江戸に入ってくる武器と、江戸から出て行く諸大名の江戸屋敷に住む妻女)”に、特に厳しい警戒の目を向けた。

五街道

→「いつか必ず役に立つ!編 覚えておいて損しない日本史」の「五街道」

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世界大百科事典(旧版)内の五街道の言及

【街道】より

…それらの管理は初期には代官また老中なども関与していたが,1659年(万治2)以降は道中奉行を置いて専管させた。道中奉行の管理下にあったのは,東海道(品川~京都・大坂),中山道(板橋~守山,次の草津で東海道となる),日光道中(千住~日光),奥州道中(宇都宮~白河),甲州道中(内藤新宿~上諏訪,次の下諏訪で中山道に結ぶ)の五街道のほか,東海道と中山道を結ぶ美濃路(熱田~垂井),東海道の脇街道というべき佐屋路(熱田~桑名),本坂通(浜松~御油または吉田),山崎通(伏見~山陽道の西宮),中山道と日光道中を結ぶ例幣使道(倉賀野~壬生(みぶ)通の楡木へ),日光道中の脇街道というべき日光御成道(岩淵~岩槻を経て日光道中の幸手へ),壬生(みぶ)通(日光道中の小山から分かれ,飯塚,壬生等を経て日光道中の今市へ)がある。また千住から新宿(にいじゆく)・八幡(やわた)・松戸を経る水戸佐倉道はこの3宿だけが道中奉行の管轄であった。…

【宿村大概帳】より

…江戸幕府が直轄する五街道およびそれに付接する諸街道の宿と沿道について精密に調査したもの。宿の戸口,旅籠屋数,問屋,本陣,社寺,人馬賃銭,高札,産業など宿明細帳に近いものと沿道村の掃除場,産業,一里塚,立場,橋梁等まで詳しく記述している。…

※「五街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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