人形浄瑠璃。世話物3巻。近松門左衛門作。1721年(享保6)竹本座初演。この殺人事件はすぐに歌舞伎に仕組まれて上演されているが,本作への影響関係は不明。河内屋与兵衛は小心もののくせにわがままな蕩児であるが,番頭上りの継父徳兵衛にとっては主筋にあたるので足蹴にされても折檻もできないし,実母はその徳兵衛への義理と息子への愛情にはさまれて苦しむ。勘当された与兵衛は新銀二百匁の返済に窮して隣家の油屋豊島屋(てしまや)の女房お吉に頼みこむが,ことわられてお吉を殺す。金を奪って逃げた与兵衛はお吉の法事の日に立ち寄って捕らわれる。それにしてもお吉には殺されるどんな筋合いもない。それどころか美しいが3人の子の親でもある27歳のお吉は日ごろから姉のように与兵衛のことを案じてやっており,与兵衛にとってもまた,お吉は甘えることのできるただ一人の人間であった。そのお吉が殺されるわけで,そこに不条理な逆転のドラマがあるということになるが,そのドラマをみごとに視聴覚化するのが,若い女と男が油にすべりながらもつれあう殺しの場面である。近松の他の世話浄瑠璃に見られるような悲劇的カタルシスはなく,特殊な位置をしめる作品である。そのためか当時一般うけしなかったらしく,江戸時代での再演はなかった。明治になって坪内逍遥の近松研究会で高く評価されてからは歌舞伎でもさかんに取り上げられるようになったが,それには近松の他の世話物には見られない作劇法が歌舞伎化に適したということもあった。1907年東京三崎座の女芝居で上演され,以後,2世実川延若,13世守田勘弥,2世市川猿之助(後の猿翁)らが上演。第2次世界大戦後はさらに多くの俳優によって演じられ,また,人形浄瑠璃でも復活された。
なお,新解釈の戯曲に吉井勇作《河内屋与兵衛》(1911)がある。
執筆者:廣末 保
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浄瑠璃義太夫節(じょうるりぎだゆうぶし)。世話物。3段。近松門左衛門作。1721年(享保6)7月大坂・竹本座初演。同年5月に起こった事件を脚色。大坂・天満(てんま)の油商河内屋(かわちや)の次男与兵衛は、番頭上がりの継父徳兵衛の寛容に乗じて放蕩(ほうとう)を尽くし、野崎詣(まい)りの徳庵(とくあん)堤で女をめぐって大げんかをしたすえ、徳兵衛に金と家督を強要して暴力を振るう。思い余った徳兵衛夫婦は与兵衛を勘当するが、それでも息子かわいさ、町内の同業豊島屋(てしまや)の女房お吉(きち)に小遣いを託す。与兵衛は親の慈悲に感動したものの、彼は父の偽判(にせはん)で大金を借り返済を迫られていたので、お吉に融通を頼むが、断られるとふたたび分別を失い、お吉を殺して金を奪い、その三十五日の逮夜(たいや)に召し捕られる。江戸時代には上演が絶えていたが、明治になると主人公の近代的な性格描写や、これをめぐる継父、実母、お吉らの義理と人情の機微、また油に滑るお吉殺しの凄惨(せいさん)な迫力などが高く評価され、明治末年に2世実川延若(じつかわえんじゃく)が復活上演。以来、しばしば演じられるようになり、第二次世界大戦後は文楽人形浄瑠璃でも新しい節付けによって復活上演されている。
[松井俊諭]
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