コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

妻木頼黄 つまきよりなか

6件 の用語解説(妻木頼黄の意味・用語解説を検索)

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

妻木頼黄
つまきよりなか

[生]1859. 東京
[没]1916. 東京
建築家。 1878年工部大学校造家学科入学。 82年渡米,コーネル大学に学ぶ。 84年に卒業。東京府へ勤める。 86年臨時建築局からドイツへ留学。 88年に帰国。大蔵省営繕局にあって活躍した明治建築界の巨匠。

本文は出典元の記述の一部を掲載しています。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典
Copyright (c) 2014 Britannica Japan Co., Ltd. All rights reserved.
それぞれの記述は執筆時点でのもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

妻木頼黄 つまき-よりなか

1860*-1916 明治-大正時代の建築家。
安政6年12月10日生まれ。内務省臨時建築局技師となり,中央官庁街建設計画にくわわる。河合浩蔵(こうぞう)らとドイツに留学,エンデ-ベックマン事務所につとめる。帰国後内務省技師をへて明治34年大蔵省営繕課長。国会議事堂設計をめぐって辰野金吾と対立した。大正5年10月10日死去。58歳。江戸出身。コーネル大卒。作品に横浜正金銀行本店など。

出典|講談社 この辞書の凡例を見る
(C)Kodansha 2015.
書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

妻木頼黄

没年:大正5.10.10(1916)
生年:安政6.1.21(1859.2.23)
明治建築界の巨頭。江戸赤坂に旗本の長男として生まれ,幼くして両親を亡くす。明治9(1876)年,18歳でニューヨークに遊学,富田鉄之助,目賀田種太郎らを知る。翌年帰国,11年工部大学校造家学科に学ぶが中退して15年再渡米,コーネル大学建築学科に編入。卒業後,18年東京府に勤め,臨時建築局技師を兼務して新国家の中央官衙建設計画に従事,その準備のため19年ベルリンに留学。帰国後,仮議院・諸官衙・監獄の建設,建築条例の起草などに活躍,実務能力の高さは定評があった。内務技師を兼務のまま29年大蔵技師となり,煙草と塩の専売施設,税関など,拡大する国家施設の建設を進めながら有能な部下を育成し官僚営繕組織を固め,その頂点に立って辣腕をふるう。かたわら,銀行,麦酒工場などの民間建築も多数設計した。建築界のもう一方の雄,辰野金吾との国会議事堂の建設をめぐる熾烈な闘いの最中に病没。現存する作品は,日本橋,横浜正金銀行本店(現神奈川県立博物館),横浜新港埠頭倉庫など。<参考文献>博物館明治村編『妻木頼黄と臨時建築局』,長谷川尭「議事堂への系譜」(『日本の建築[明治・大正・昭和]』4巻)

(松波秀子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

江戸・東京人物辞典の解説

妻木頼黄

1859〜1916(安政6年〜大正5年)【建築家】日本橋の装飾を設計。 江戸と東京をつないだ建築デザイナー。明治期の建築家。江戸赤坂に旗本の子として生まれる。1882年(明治15)に渡米しコーネル大学で建築を学んだ。卒業後内務省の臨時建築技師となり、独ベルリン工科大学に派遣された。帰国後は東京裁判所日本勧業銀行や大蔵省をはじめ官庁関連施設の建設に携わる。現存する妻木の数少ない建築物として、日本橋や横浜正金銀行(現・神奈川県立歴史博物館)があり、近代的な中に江戸文化の香気を留める瀟洒(しょうしゃ)な姿を見せている。

出典|財団法人まちみらい千代田
監修:江戸東京博物館 都市歴史研究室長 北原 進
(C) 財団法人まちみらい千代田
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

大辞林 第三版の解説

つまきよりなか【妻木頼黄】

1859~1916) 建築家。江戸の人。コーネル大学卒。東京府御用掛・大蔵省営繕課長などを歴任し、官庁建築を手がけた。代表作は東京府庁舎・東京商工会議所・横浜正金銀行本店など。

出典|三省堂
(C) Sanseido Co.,Ltd. 編者:松村明 編 発行者:株式会社 三省堂 ※ 書籍版『大辞林第三版』の図表・付録は収録させておりません。 ※ それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

妻木頼黄
つまきよりなか
(1859―1916)

建築家。江戸旗本の家に生まれる。1878年(明治11)工部大学校造家学科に入学するが82年中退して渡米、コーネル大学に学び84年卒業。翌年帰国。86年議事堂および中央官庁街建設のため臨時建築局が設置されると同局技師となり、ドイツに留学。おもにエンデ・ベックマン事務所に在籍。88年帰国。1905年(明治38)大蔵省臨時建築部長となり、官庁建築の主導者として国会議事堂などの建設を指導。おもな作品に東京府庁舎(1894)、東京商工会議所(1899)、横浜正金(しょうきん)銀行本店(1904、現神奈川県立歴史博物館、重文)、日本赤十字本社(1912)がある。[天田起雄]

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

妻木頼黄の関連キーワード加陪仲塗堂伴白主山川白酒赤坂忠正明治村赤坂奴巨頭小六節赤坂忠時美笑軒一鶯

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

妻木頼黄の関連情報