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杜如晦 とじょかい Du Ru-hui; Tu Ju-hui

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

杜如晦
とじょかい
Du Ru-hui; Tu Ju-hui

[生]開皇5(585)
[没]貞観4(630).3.19. 長安
中国,唐初の名相。京兆杜陵 (陝西省長安県) の人。字は克明。祖父杲 (こう) は隋の工部尚書。隋の大業年間 (605~617) 吏部選に通り,ふ陽尉となったが官を捨て野に下った。唐の高祖が長安を平定すると,秦王府参軍として李世民 (のちの唐の→太宗 ) の幕下に入った。

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デジタル大辞泉の解説

と‐じょかい〔‐ジヨクワイ〕【杜如晦】

[585~630]中国、の政治家。京兆(陝西(せんせい)省)の人。太宗に仕え、房玄齢とともに、貞観の治の基礎を築いた名臣とされる。

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世界大百科事典 第2版の解説

とじょかい【杜如晦 Dù Rú huì】

585‐630
中国,唐初の名相。京兆杜陵(陝西省長安県南東)の人。字は克明。唐初に秦王府参軍として太子李世民の幕下に入り,房玄齢の推挙で重用され,〈秦王十八学士〉の筆頭におかれた。李世民が即位して太宗となるや,尚書右僕射に任ぜられ,左僕射の房玄齢らと協力して〈貞観の治〉といわれる政治安定期を現出させた。房玄齢の深謀に対し,杜如晦は決断で知られ,唐の名相といえばつねに房杜と並称された。【礪波 護】

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大辞林 第三版の解説

とじょかい【杜如晦】

585~630) 中国、初唐の政治家。太宗に仕え、房玄齢と共に宰相として貞観じようがんの治を現出させた。房杜と併称される。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

杜如晦
とじょかい
(585―630)

中国、唐の宰相。京兆杜陵(けいちょうとりょう)(陝西(せんせい)省西安(せいあん)市南東)の人。その家は代々北朝、隋(ずい)の官吏であり、如晦も初め隋に仕えたが退官した。唐初より、秦(しん)王李(り)世民(太宗)に仕え、各地で武功をたてた。また秦王府十八学士の1人でもあった。626年玄武(げんぶ)門の変に活躍し、世民の即位後、大官を歴任し宰相となったが、46歳で死去した。房玄齢(ぼうげんれい)とともに太宗朝初期の名宰相で、「房杜(ぼうと)」と並び称せられる。[布目潮

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