図書や視聴覚資料などが置かれた学校内の施設で、図書室とされる場合が多い。1953年に成立した学校図書館法により、公立や私立を問わず、小中高・特別支援学校での設置義務を定めている。同法は学校教育で欠くことのできない基礎的な設備と位置付け、整備や充実を図ることも規定している。現行の学習指導要領でも、学校図書館を利用して、児童生徒の主体的・対話的で深い学び(アクティブラーニング)の実現に向けた授業改善に生かすことや、自発的な学習や読書活動を充実することを求めている。
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小・中・高等学校において、図書、図書以外の資料――印刷物(新聞、雑誌、パンフレット、絵葉書等)、視聴覚資料(レコード、スライド、映画フィルム、写真、録音テープ、ビデオテープ)、電子資料(CD-ROM、DVD、電子書籍、外部データベース、映像・動画を含むさまざまな電子メディア等)、その他(拓本、標本等)を収集し、整理し、保存して、児童・生徒または教員の利用に供する設備である。その目的は、学校の教育課程の展開に寄与し、児童・生徒の健全な教養を育成することにある。設置については、学校図書館法(昭和28年法律第185号)によって義務づけられている。
[茂木幸雄]
閲覧、貸出し、レファレンス・ワークreference work(情報の収集、または調査研究のため、図書館資料を利用しようとする児童・生徒に対する援助)、資料複写、広報活動、読書会、講演会等の奉仕活動を行う。さらに、読書指導、図書館および図書館資料の利用指導も行う。読書指導は、児童・生徒の読書環境を整備し、読書意欲・興味をおこさせ、読書技術を学ばせ、読書を通じて、知識を蓄え、人格を陶冶(とうや)して、社会に適応できる人間形成ができるよう、援助することである。また利用指導は、図書館や図書館の資料の利用について必要な知識や技能を習得させ、自分で調べ、考え、問題を解決していく自主学習ができるように、指導することである。
[茂木幸雄]
1867年(慶応3)江戸幕府が崩壊し、社会は大きく変わり、版籍奉還(1869)、廃藩置県(1871)を経て、250余りあった藩は消滅した。各藩によって設立、経営されていた藩士の教育機関であった藩学も解散していった。これら藩学の蔵書は、明治時代になり、四散したものもかなりあったようだが、地元の図書館や学校に移管されたものもあった。たとえば、安中(あんなか)藩造士館は安中小学校(群馬県)、黒羽藩作新館は黒羽小学校(栃木県)、佐倉藩成徳書院は佐倉高校(千葉県)、彦根藩弘道館は彦根東高校(滋賀県)、大村藩五教館は大村第一高校(長崎県)へと、その蔵書が移管された。これらの学校(高校は、当時は旧制中学校)では、旧藩学の蔵書が、学校図書館の図書として利用されたと考えられる。このほかにも、当時の小学校や旧制中学校に付設された図書館(あるいは図書室)は全国各地に存在した。1906年(明治39)の中学校数は国・公・私立合わせて281校であったが、明治末期、中学校付設の図書館は、50館余りあった。
大正時代、自由教育運動が盛んになると、読書指導や図書館の利用指導も、教育現場の教師の熱意に支えられ、活発に行われるようになった。教育活動の一環として読書指導が行われ、その必要性から、多くの図書を収集し、活用できる図書館が、初等・中等学校に設けられたのは、大正期のことである。
児童・生徒の個性や自発性を尊重し、その自由や自治をできる限り保障しようとした東京の私立成城(せいじょう)小学校、学年にこだわらず、時間配当を自由にし、教科書以外の各種の教材を活用し、自由学習時間を設けて、読書を奨励した千葉師範附属小学校がその例である。そのほか、東京、私立の成蹊(せいけい)小学校、池袋児童の村小学校、自由学園や、国公立の奈良女子高等師範学校附小、明石(あかし)女子師範附小、東京高等師範学校附小、東京女子高等師範学校附小などの附属小学校、倉敷小学校(岡山県)、大社中学校(島根県)、三好高等女学校(徳島県)など多くの学校が図書館を設けた。
1945年(昭和20)第二次世界大戦が終結すると、連合国最高司令官総司令部(GHQ)は、占領政策の一環として教育の自由主義化を進めた。1947年3月31日、日本国憲法にのっとった教育理念に基づき、教育基本法、学校教育法、教育委員会法等が制定され、公選制の教育委員会が誕生した。教育体制も、地方・学校・教師・住民の参加を含めた体制へと転換が図られた。自主的な学習展開への志向や新しく始まった授業などのためにも、さまざまな学習資料が必要とされるようになり、そこに、学校図書館をつくり、充実させ、活動内容を活発化させる機運も高まった。1948年(昭和23)『学校図書館の手引』が刊行され、翌1949年、東西2か所(千葉県鴨川(かもがわ)市、奈良県天理市)に各都道府県の代表者を集めて、『手引』の伝達講習会が開かれ、全国各地に学校図書館づくりの動きが促進されることになった。1950年全国学校図書館協議会(SLA)結成、第1回全国学校図書館研究大会が東京・氷川(ひかわ)小学校で開かれ、機関紙『学校図書館』が創刊された。これは学校図書館の歴史のうえで、画期的なことであった。
学校図書館法が制定されたのは、すべての学校に図書館を設け、一定の水準に引き上げるための公的保障を求める100万人署名による国会請願を背景にしたもので、1953年のことである(当時、小・中学校の図書館設置率50%、高校87%)。同法は、学校図書館の設置義務、司書教諭の制度化、図書館費の公費負担を規定している。
1958年(昭和33)、学習指導要領改訂により、基礎学力の向上、能力と適性に応ずる教育が強調されるようになった。一方、児童・生徒数の激増による上級学校への入学難、教科書中心の知識注入教育の復活、さらに、教室不足による図書館の一般教室への転用も各地にみられ、学校図書館運動も陰(かげ)りがみえ始めた。それでも、全国各地の熱心な教師らによって、その研究・活動の成果は積み上げられていった。昭和30年代中ごろから「資料センターとしての学校図書館」ということばが用いられ、視聴覚資料の図書館管理、視聴覚部の図書館への併合、ファイル資料の収集・整理などの実践や研究が盛んになった。
1978年には教材の精選、授業時数の削減などによる「ゆとりある教育」を目ざした学習指導要領の改訂が始まり、1980年から「ゆとりと充実」を唱えた新教育課程が実施される。この改訂に際し、全国学校図書館協議会は、学校図書館の教育的意義と機能の明示、週1時間の「図書館の時間」の設定、毎日1時間の「自学時間」の設定などの要請を行った。
漫画は、以前より、子供たちに高い人気を誇る活字メディアであったが、1980年には少年漫画週刊誌5誌の新年号発行部数が合計1000万部を越えた。「マンガ日本史」シリーズをはじめとする学習漫画も続々と発行され、小・中学生のあいだに広く普及していった。こうした状況を受けて、学校図書館も漫画図書受け入れについて対応せざるをえなくなる。1986年に全国学校図書館協議会が「まんが委員会」を発足、検討を続け、1988年10月1日「学校図書館図書選定基準」を改定し、漫画についての基準を収録した。以前は、漫画を積極的に薦めることはしなかったが、文化財のひとつとして認め、学習や娯楽に役立つものとして評価するようになった。
1990年代になると、子供の読書離れはさらに進むようになった。こうした状況が憂慮され、1993年(平成5)全国学校図書協議会、日本児童図書出版協会等の呼びかけで、図書館協会、作家・画家・出版関係など多くの団体が参加して「子どもと本の出会いの会」が発足した。また、この動きは政界にも広がり、「子どもと本の議員連盟」が設立された。子供の読書を推進しようとする活動は、社会の注目を集めるようになり、1995年には、年度予算に、国立の「国際子ども図書館(仮称)」設立計画の費用が計上された。その後、さまざまな経緯を経て、2002年5月5日に全面開館を迎えるに至った。
1996年、中央教育審議会は「21世紀を展望した我が国の教育の在り方について」の答申で、学校図書館の重要性について、次のように述べている。「学校の施設の中で、特に学校図書館については、学校教育に欠くことのできない役割を果たしているとの認識に立って、図書資料の充実のほか、様々なソフトウェアや情報機器の整備を進め、高度情報通信社会における学習情報センターとしての機能の充実を図っていく必要があることを指摘しておきたい。また、学校図書館の運営の中心となることが期待される司書教諭の役割はますます重要になると考えられ、その養成について、情報化等の社会の変化に対応した改善・充実を図るとともに、司書教諭の設置を進めていくことが望まれる。」
翌1997年6月、学校図書館についての基本的な法律である学校図書館法が改正された。従来の学校図書館法(附則)では、司書教諭設置については「当分の間置かないことができる」とされていたが、改正で「当分の間」が「平成15年3月31日までの間(政令で定める規模以下の学校にあつては、当分の間)」と変更された。これによって、2003年より12学級以上の規模の学校には、司書教諭を置くことが法律によって義務づけられるようになった。
2008年の時点で、全国の小学校52.2%、中学校43%、高等学校78.5%の学校に司書教諭が配置されている。ただし、「政令で定める規模以下の学校」に当たる11学級以下の規模の学校への司書教諭の配置は「当分の間」猶予されている。2009年の全国学校図書館協議会第5回学校読書調査によると、同年5月の1か月間の平均読書冊数は、小学生8.6冊(全生徒の約3割が10冊以上)、中学生3.7冊、高校生1.7冊である。高校生の8割以上が2冊以下(2冊が12.6%、1冊が22.7%、0冊が47.7%)となっている。この統計は、読書離れが危惧されていた1990年ころに比べると、若干上昇傾向にある。読書環境整備の動きとしては「子ども読書年」(2000)、「子どもの読書活動の推進に関する法律」(平成13年法律第154号)の制定(2001)、国際子ども図書館の全面開館(2002)に、「文字・活字文化振興法」(平成17年法律第91号)の制定(2005)、「国民読書年」(2010)などがある。また、全国各地の学校で、全校いっせいに読書の時間を設ける「朝の読書運動」が盛んに行われるようになった。「朝の読書」の実施校は、2001年時で7000余校、その後数年で1万数千校に達した。
高度情報化社会を迎え、図書館もコンピュータネットワークの導入や情報ソフトの整備、データベースの構築、図書資料の幅広い活用、図書館間の連携などを進めている。学校図書館も、従来の読書センターとしての役割に加え、より高度な学習展開を支える学習センターとしての機能が求められており、学校図書館の連携によるネットワーク化が進んでいる。たとえば、1か所の学校図書館だけでは対応が難しい場合、学校図書館支援センターを核にして、地域の各学校図書館を結ぶネットワークがある。支援センターは、ネットワークの管理運営、指導や助言、各図書館間の資料の相互貸借・集配などのサービスを提供する。
千葉県市川市では、いち早く1990年ころから読書教育と学校図書館ネットワーク化に取り組み、文部科学省の「学校図書館資源共有型モデル地域」「学校図書館支援センター推進事業」などに指定された。同市のネットワークには、市内の小・中学校、支援学校、幼稚園、高等学校が参加、市川市中央図書館が支援センターの役割を担っている。中央図書館と各校の蔵書がデータベース化され、相互にインターネット検索ができ、必要な図書は、集配、相互貸借され、容易に他所から借りて読むことができる。このシステムで、年間に移動する図書数は5万冊にのぼるという。また、学校図書館と公共図書館等との連携、ネットワーク化も進めている。こうした学校図書館をはじめとする地域の図書館ネットワークは、日本各地に拡大している。群馬県の場合は、群馬県立図書館が県内図書館情報ネットワークの中心となって管理を行い、公立図書館40館、公民館図書室18館、大学図書館17館、高等学校図書館45館、その他専門図書館2館がネットワークに参加し、蔵書データがインターネット検索でき、相互貸借が可能である(2010年8月の時点)。
[茂木幸雄]
学校図書館の地域開放は全国各地で進められている。たとえば、神戸市では1969年(昭和44)に開始、1985年3月に50校に達し、2008年(平成20)9月時には88校である。趣旨は「教育委員会が指定する学校の図書室を開放し、市民および児童・生徒の読書意欲にこたえ、地域社会の健全な育成に寄与すること」であり、一般の人々に開放されている。札幌市では1978年から学校図書館開放に着手し、1985年3月に21校に達し、2010年2月の時点で93校である。全校的にも増加傾向であり、学校図書館は、生涯学習体制の整備と連動しつつ、読書センター、情報学習センターとして、地域の人々が積極的に活躍する場としての役割を果たしていくことが望まれる。
[茂木幸雄]
『深川恒喜・北嶋武彦・瀬戸真編著『現代学校図書館事典』(1982・ぎょうせい)』▽『全国学校図書館協議会編・刊『新学校図書館学 1~5』(2000~06)』▽『全国学校図書館協議会編・刊『学校図書館50年史』(2004)』▽『全国学校図書館協議会編・刊『これからの学校図書館と学校司書の役割――配置促進と法制化に向けて』(2005)』▽『高橋元夫・堀川照代著『学習指導と学校図書館』改訂版(2005・放送大学教育振興会、日本放送出版協会発売)』▽『高鷲忠美・志保田務著『学校図書館メディアの構成』改訂版(2005・放送大学教育振興会、日本放送出版協会発売)』▽『『シリーズいま、学校図書館のやるべきこと』全6巻(2005・ポプラ社)』▽『三上久代著『学校図書館における新聞の活用』(2006・全国学校図書館協議会)』▽『塩見昇編著『教育を変える学校図書館』(2006・風間書房)』
小・中・高等学校および盲・聾・養護学校で児童生徒,教職員が学習や調査研究を行い,また読書欲や知的探究心を満たし教養を高めるため,図書や視聴覚資料などを集め整理して利用させる学校内の設備。単に本や部屋があるだけでなく,そこで行われる子どもや教師の教育活動,それを高める司書教諭や学校司書の活動,さらに図書館の管理運営や図書の収集整理などの作業を含んでいる。〈学校図書館法〉(〈学図法〉と略称。1953公布)は,学校図書館を学校教育に不可欠の基礎的設備とし,学校教育の充実,すなわち教育課程の展開に寄与し,児童生徒の健全な教養の育成を図るものとしている。同法は学校に学校図書館の設置を義務づけ,次の点をその運営目標としている。(1)図書館資料を収集し子どもと教師の利用に供する,(2)図書館資料の分類配列を適切にしその目録を整備する,(3)読書会,研究会,鑑賞会,映写会,資料展示会などを行う,(4)図書館やその資料の利用について子どもに適切な指導をする,(5)他校の図書館,公共図書館,博物館,公民館などと緊密な連絡協力をする,(6)支障のない限度で一般公衆の利用に供する。このような機能を果たすため,同法は学校図書館の専門的職務をつかさどる司書教諭を必ず学校に置かねばならないと定めている。
近代学校の歴史において,図書館活動を学校教育に位置づけた国はアメリカで,1918年に世界最初の学校図書館基準を採択した。詰込教育に反対し,子どもの自発的学習を主張したJ.デューイらの新教育の思想がこれに大きくあずかっている。戦前日本の国定教科書中心の教育,一斉授業では,図書館の必要はあまりなかったが,自発的学習・自学の重要性が強調された大正自由教育の時代に図書室や学級文庫の設置が始まった。戦後,アメリカ教育使節団の勧告に基づき学校図書館設置の気運が高まり,学校教育法施行規則で学校に図書館または図書室を設置することが規定された。50年に全国学校図書館協議会が結成され,学図法公布の推進母体となった。しかし,学図法の最大の問題は,司書教諭を必置としながら,同法付則2項で当分の間これを置かなくてもよいとしている点であった。以後,全国学校図書館協議会,日教組などにより付則2項の撤廃と学校司書の制度化が追求されてきたが,96年に学図法の改正が行われ,付則2項中の〈当分の間〉が〈平成15年(2003年)3月31日までの間〉に改められた。しかし,改正にともなう定数増などの措置がない,11学級以下の小規模校は対象から外されているなどの点で,現状の改善にはつながらないとの批判の声が強く,司書配置の制度化について今後に残された問題は大きい。
執筆者:新村 洋史
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…なお,ベーコンの知識分類は,後年アメリカ議会図書館の図書分類法に導入される。また18世紀における大衆文学の発生は,貸本屋を生み,産業革命は後に職工学校図書館を登場させ(1823年設立のグラスゴー職工学校図書館が特に有名),やがて有志による会員制図書館が成立して近代図書館への地ならしが行われる。
[近・現代]
T.カーライルらを発起人とする会員制図書館ロンドン・ライブラリーの成立(1841)に遅れること9年にして,ようやくイギリスでは,公費支弁による公共図書館法の制定をみる(1850)。…
※「学校図書館」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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