学習館跡(読み)がくしゆうかんあと

日本歴史地名大系 「学習館跡」の解説

学習館跡
がくしゆうかんあと

[現在地名]佐土原町上田島

佐土原藩の藩校。かつての佐土原城下の第一郭門内にあった。跡地は現在の佐土原小学校敷地内。広さは約二反歩、校舎は約九〇畳。校舎の中央上段を講座および藩主の席とし、床間の眉間に「学習館」の扁額を掲げ、下段は一門家老以下の聴聞の席とした。中央の一〇畳は中堂と称され、その正面に学則などを掲げた。文政八年(一八二五)すでに隠居していた八代藩主島津忠持が設置。大坂から来た御牧篤好(赤報)を教授とし、大正(家老格)・副正(番頭格)教主(用人以上)助教・舎長(用人格)・学頭(騎馬格)などの職を置き、四書五経、近思録などを授けた。同年城下四ヵ郷の追手おうて口・鴫之しぎの口・野久尾のくび口・十文字じゆうもんじ口に郷学を設け、武士の児童を八歳から入学させて読書・習字を学ばせ、一五歳で学習館に入学させた。


学習館跡
がくしゆうかんあと

[現在地名]杵築市杵築

きた台の勘定場かんじようばの坂を登った北側の屋敷地にあった。杵築藩の藩校。正保二年(一六四五)松平氏杵築城に入り、初代藩主松平英親は藩政確立に努めると同時に学問にも関心を示し、儒者綾部道弘を招いて講釈させた。その後好学の藩主が多数出現したが、八代藩主親明により天明八年(一七八八)藩校の学習館が創設された。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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