日本歴史地名大系 「学習館跡」の解説
学習館跡
がくしゆうかんあと
佐土原藩の藩校。かつての佐土原城下の第一郭門内にあった。跡地は現在の佐土原小学校敷地内。広さは約二反歩、校舎は約九〇畳。校舎の中央上段を講座および藩主の席とし、床間の眉間に「学習館」の扁額を掲げ、下段は一門家老以下の聴聞の席とした。中央の一〇畳は中堂と称され、その正面に学則などを掲げた。文政八年(一八二五)すでに隠居していた八代藩主島津忠持が設置。大坂から来た御牧篤好(赤報)を教授とし、大正(家老格)・副正(番頭格)・教主(用人以上)・助教・舎長(用人格)・学頭(騎馬格)などの職を置き、四書五経、近思録などを授けた。同年城下四ヵ郷の
学習館跡
がくしゆうかんあと
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報