中国の学問の一分科の名であるが,この学問の分科がこのように名づけられたのは,別項の書名としての《小学》がそう名づけられたのと,そのもとづくところが同じである。それは,古代中国で経学つまり思想の学をまなぶ所が〈大学〉であるのに対し,そこに至るための途中の教育段階として〈小学〉がおかれたとされていることとかかわりがある。〈小学〉はすなわち小学校であり,そこでは大学に行く準備として文字や計算が教えられた。いわゆる〈読み書きそろばん〉である。また親兄弟,先生,年長者,主筋の人に対するマナーが教えられた。いわゆる〈しつけ〉であり,修身,道徳である。学問の分科の名は前者〈読み書きそろばん〉のうち特に〈読み書き〉と結びつき,後代の書名としての《小学》は,後者〈しつけ〉と関連する。《周礼(しゆらい)》の《天官》保氏に〈国子を養うに道を以てし,すなわちこれに六芸(りくげい)を教う。一に曰(いわ)く五礼,二に曰く六楽,三に曰く五射,四に曰く五馭,五に曰く六書,六に曰く九数。すなわちこれに六儀を教う。一に曰く祭祀の容(かたち),二に曰く賓客の容,三に曰く朝廷の容,四に曰く喪紀の容,五に曰く軍旅の容,六に曰く車馬の容〉とあるのが,全体としてのこの〈小学〉教育について述べたものと考えられている。
学問の分科の名としての小学は,少なくとも《漢書》芸文志以後は,中国の昔の意識で〈文字学〉というのに,ほぼ相当する。中国の昔の知識階級に属する人たちにとって,漢字を離れてことばは存在しえなかったからで,逆にいえば,いまの一般のことばに置き換えれば,すなわち言語学のことだということにもなる。中国において学問の分科の名は,また同時に書物分類法上の項目の名でもあるから,〈小学〉という項目は,そこでは文字学ならびにその成果である字書類をまとめていうためのもので,実際のところ古代の中国で文字学ないし言語学が,理論そのものとして論議されるということはまずほとんどありえなかったから,小学書というのはおおざっぱにいえば字書類のことだといってもいい。そうして〈小学〉ということばをこういう意味で使う最も古い例の一つが,さきにいう《漢書》芸文志なのだが,そこでは〈小学〉ということばのこの使い方が,前述の《周礼》の〈これに六芸を教う,五に曰く六書〉というのにもとづくことが明言されている。ただ《漢書》芸文志で〈小学〉の直前に置かれる〈孝経〉という項目では,《孝経》そのもののほかに,後代《旧唐書(くとうじよ)》経籍志以後は〈小学〉に入る《爾雅》のほか《弟子職》が収められていて,これはいま《管子》の中にある同名の篇と同じものだとされている。それならば《孝経》とともにまさしく〈しつけ〉〈修身〉の書であり,そうだとすると《漢書》芸文志の〈孝経〉〈小学〉両項目をあわせて,《周礼》保氏における教育と対応する書物が収められていることになろう。
現在では中国の書物を伝統的な分類方法に従って分類するときには,《四庫全書総目》の方式により,〈訓詁の属〉〈字書の属〉〈音韻の属〉の3属に分けるのが普通で,これは文字学上の分科としては,それぞれ漢字の意味,字形,字音の研究に対応する。実は旧来の〈小学〉の弱点もここにあらわれているのであって,文字そのものと離れることができなかったため,文字と文字との間を研究するというべき文法学などは,そこに育ちにくかったのである。
執筆者:尾崎 雄二郎
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漢字の3属性――形象(形)・音韻(おんいん)(音)・訓詁(くんこ)(義)の書籍およびその研究(中国古典語学)をさす旧称の雅語。中国古代、国子(こくし)(支配階層の子弟)は、8歳で小学に入り六芸(りくげい)の教課(礼楽射御書数)を学び、うち「書」(六書)は文字に関する課目とされた(『周礼(しゅらい)』)。漢代、官吏の採用に書計(諸体の文字と算数)を課し、学童は必要な文字を韻文に編んだ簡冊(かんさく)で暗唱した。この教課用字書『蒼頡篇(そうけつへん)』『急就篇(きゅうしゅうへん)』などが「小学」と総称された(『漢書(かんじょ)』芸文志(げいもんし)「六芸略」)。以後、漢字の訓詁・音韻の書が小学の中心を占め、宋明(そうみん)期には範囲を広げて金石・書法や児童教本(テキスト)『蒙求(もうぎゅう)』なども含まれた。清(しん)代の漢学(考証学)興隆により、経部・小学類(「四庫全書」)では、『爾雅(じが)』(訓詁)、『説文(せつもん)解字』(字書)、『広韻(こういん)』(韻書)の3類に絞った体例をたて、漢語文字研究の固有の分野に限定された。
[戸川芳郎]
6巻。一名『小学書』。南宋(なんそう)の朱熹(しゅき)(朱子)の監修の下にその友人劉清之(りゅうせいし)らが編集した書。1185年(淳煕12)にほぼ脱稿、その後一部修正を加えて87年、朱熹58歳のときに完成した。小学とは大学に対する語で、児童のための初歩の教育をさし、この書は児童に日常の礼儀作法や長上に仕え友人と交わる道などを説くことを目的とした。6巻の構成は、内篇(へん)(立教・明倫・敬身・稽古(けいこ))、外篇(嘉言(かげん)・善行)の2篇に分かれ、内篇は経書(けいしょ)を引用した概論にあたり、外篇はその実際を人々の言行によって示している。後世、日本をも含めてよく読まれ、注釈書も種々つくられたが、明(みん)の陳(ちん)選の『小学句読』が広く行われている。
[山本 仁]
『宇野精一訳注『小学』(『新釈漢文大系3』所収・1965・明治書院)』
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…幕末期までは,身分制社会を反映して農民,町人の子どもは寺子屋,郷学へ,武士の子どもは藩校(藩学)の入門階梯か親もとで初歩的な文字教育を受けたが,明治維新後は,欧米の先進科学・技術を系統的に学びとるために入門課程から専門課程に至る一連の学校制度の構築が必要とされた。この体系的な学校制度の最も基底をなす初等教育課程が,〈小学〉または〈小学校〉という名称を与えられたのである。〈小学〉とは,専門教育を行う〈大学〉,それへの中間段階をなす〈中学〉などとの対比において,儒学における入門的教材集である《小学》(宋の劉子澄が1187年に編纂)に源由して名づけられたものと考えられる。…
…中国の学問の一分科の名であるが,この学問の分科がこのように名づけられたのは,別項の書名としての《小学》がそう名づけられたのと,そのもとづくところが同じである。それは,古代中国で経学つまり思想の学をまなぶ所が〈大学〉であるのに対し,そこに至るための途中の教育段階として〈小学〉がおかれたとされていることとかかわりがある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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