大学事典 「学者グループ事件」の解説
学者グループ事件
がくしゃグループじけん
教授グループ事件ともいう。1928年(昭和3)に起こった三・一五事件(日本共産党に対する弾圧事件)の第2弾として,37年12月に労農派(非日本共産党系のマルクス主義者集団)の治安維持法違反容疑による全国一斉検挙が行われたが(人民戦線事件),翌38年2月の第2次検挙により東京帝国大学経済学部教授の大内兵衛,助教授の有沢広巳と脇村義太郎が,労農派支援という治安維持法違反容疑で,他大学の約30人の教員とともに検挙された事件。経済学部の国家主義的「革新派」教授グループは,3教授の起訴前の休職処分を要求するも教授会・評議会で否決され,「文官分限令」の規定により起訴とともに3教授は休職処分に処せられた。
また東京帝国大学経済学部では,1937年に矢内原忠雄教授の執筆した論文に反戦的内容が含まれるとして,土方成美学部長を領袖とする「革新派」教授グループが教授会で糾弾し処分を求めたものの未承認となったが,矢内原が講演で不穏当発言をしたとの圧力が内務省から文部大臣を経て総長にかけられるに及び,矢内原が自主的に退職するという事件(矢内原事件)も起こっている。以上の事件および1928年の三大学教授追放事件は,いずれも「思想・良心の自由」と「表現の自由」に関する「学問の自由」が侵害を受けた事件であるが,形式的には「教授会(大学)の自治の自由」が突き崩されたわけではなかった。しかし,その前後に起こった1933年の滝川事件,39年の平賀粛清では「教授会の自治の自由」さえ侵害されることになる。
著者: 岩田弘三
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報