改訂新版 世界大百科事典 「矢内原事件」の意味・わかりやすい解説
矢内原事件 (やないはらじけん)
1937年,矢内原忠雄が思想的理由で大学を辞職させられた事件。東京帝大経済学部教授矢内原忠雄は,日中全面戦争開始に当たり戦争批判の論文《国家の理想》を《中央公論》(1937年9月号)に執筆したが,同論文は検閲で削除処分に付せられた。しかし経済学部教授会で土方成美同学部長は突然この論文を議題としてとり上げ,反戦的言論であると批判し,翌日の新聞はこの教授会の議事を報道した。矢内原の辞職を阻止しようとする大内兵衛らは長与又郎総長への説得工作に当たり,長与総長も一時は説得に応じたが,その後新たに,矢内原の講演《神の国》における〈……この国を葬って下さい〉の言葉が問題とされるに及んでこの説得も効を奏せず,37年12月1日矢内原は辞職した。辞職の直後に矢内原の著作《民族と平和》(1936)も発禁にされ,翌年東京刑事地方裁判所検事局では出版法違反の起訴をねらって矢内原らを取り調べた。内務省が発禁処分をおこない,学内外の右翼が攻撃して矢内原を辞職させ,司法処分で追打ちをかけるという,学問と思想の自由を侵害する連係活動は,この後の河合事件,津田左右吉事件にも見られるものであった。
執筆者:赤沢 史朗
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報