脇村 義太郎
ワキムラ ヨシタロウ
昭和・平成期の経済学者 東京大学名誉教授;元・日本学士院会長;経済史学会名誉会長。
- 生年
- 明治33(1900)年12月6日
- 没年
- 平成9(1997)年4月17日
- 出生地
- 和歌山県田辺市
- 学歴〔年〕
- 東京帝大経済学部〔大正13年〕卒
- 学位〔年〕
- 経済学博士
- 主な受賞名〔年〕
- 藍綬褒章〔昭和38年〕,交通文化賞〔昭和41年〕,勲一等瑞宝章〔昭和46年〕,文化功労者〔平成4年〕,東京都名誉都民〔平成7年〕,田辺市名誉市民〔平成8年〕
- 経歴
- 東京帝大助手を経て、昭和元年助教授となるが、13年人民戦線事件に連座して検挙され、大学を去る。この間、11〜12年英国に留学、海運・保険・石油問題を研究。19年無罪となり、戦後東大に復帰して教授。世界経済に造詣深く、石油問題の権威。36年退官後は独占禁止懇話会会長、石油経済研究会座長、海運企業整備計画審議会会長、海事産業研究所会長などを歴任、63年〜平成6年日本学士院長を務めた。また39年経営史学会を創設し、初代会長として経営史の国際比較研究に力を注いだ。のち名誉会長。「脇村義太郎著作集」(全5巻 日本経営史研究所)がある。
出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報
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脇村義太郎
わきむらよしたろう
[生]1900.12.6. 和歌山,田辺
[没]1997.4.17. 神奈川,逗子
昭和期の経済学者。東京帝国大学卒業後,同校の助手を経て 1926年に助教授。有沢広巳ら若手の経済学者と世界経済に関する共同研究を行い,「中央公論」「改造」などに発表した論文によって「労農派」と呼ばれた。イギリス留学後,海運,保険,石油,紡績,造船,商品学など多様な分野にわたる研究を行う。 38年の「労農派教授グループ事件」に連座し,治安維持法違反の容疑で起訴され休職するが,44年に無罪判決。第2次世界大戦後,45年に教授として復職し,外務省調査官,終戦連絡中央事務官,連絡官などを兼任すると同時に,持株会社整理委員会委員として財閥解体をすすめた。その後,経済学部長,経営史学会の初代会長,日本学士院院長などをつとめる。政府の経済政策のブレーンとして活躍し,とりわけ 63年には,海運企業整備計画審議会会長として,海運業界の再編成を指導した。『脇村義太郎著作集』 (全5巻) など,著書多数。 92年文化功労者に選ばれた。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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脇村義太郎
わきむらよしたろう
(1900―1997)
経済学者。和歌山県田辺町(現田辺市)に生まれる。第三高等学校を経て、1924年(大正13)東京帝国大学経済学部を卒業、助手になり、海運・海上保険論を専攻し、26年助教授に昇任した。38年(昭和13)人民戦線事件に連座し、大内兵衛(ひょうえ)、有沢広巳(ひろみ)らとともに起訴され、大学を去ったが、敗戦直後の45年(昭和20)11月教授として復職した。企業経営に対する実証主義的関心と学際的な研究視角による世界および日本企業の経営史研究を開拓し、とくに石油関係では独自の業績を残した。64年経営史学会創立に伴い初代会長に推された。政府関係の各種委員も歴任、幅広い活躍をしている。学士院会員。88~94年まで学士院長。92年文化功労者。
[寺谷武明]
『『脇村義太郎著作集』全5巻(1975~81・日本経営史研究所)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
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脇村義太郎 わきむら-よしたろう
1900-1997 昭和-平成時代の経済学者。
明治33年12月6日生まれ。脇村市太郎の長男。大正15年母校東京帝大の助教授。昭和13年人民戦線事件で検挙され,大学をさる。20年教授として東京帝大に復帰。海運,保険,石油などの世界経済や経営史を研究。財閥解体,海運業界再編など,おおくの産業政策に参画した。63年学士院院長。平成4年文化功労者。平成9年4月17日死去。96歳。和歌山県出身。
出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例
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脇村 義太郎 (わきむら よしたろう)
生年月日:1900年12月6日
昭和時代;平成時代の経済学者。東京大学教授;日本学士院会長;経済史学会会長
1997年没
出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報
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