1933年京都帝国大学教授滝川幸辰(ゆきとき)と京都帝国大学に対する思想および学問の自由,大学の自治(教授会の自治)の弾圧事件。京大事件ともいう。1930年代初めの思想問題(大学生の〈赤化〉問題)に危機感を抱いた復古主義的右翼は,その原因が自由主義思想にあるとして,東大の美濃部達吉,牧野英一,末弘厳太郎や京大の滝川ら自由主義的法学者を非難していたが,32年に滝川が中央大学で行った講演(〈《トルストイの《復活》に現はれた刑罰思想〉)をとらえ攻撃を開始した。議会では貴族院の菊池武夫と衆議院の宮沢裕が滝川の著書《刑法読本》を危険思想であると攻撃した。内務省はこれをうけいれて,33年4月11日滝川の《刑法読本》(1926),《刑法講義》(1932)の2著を発売禁止とした。ついで鳩山一郎文相や文部省は小西重直京大総長に滝川教授の辞職または休職を要求した。これが拒否されると政府は5月26日滝川の休職処分を発令した。これに対し法学部の全教官が辞表を提出し,学生は学生大会を開いて抗議した。全国の知識人,学生も大学自由擁護連盟をつくるなど支援したが,運動は十分広がらなかった。文部省は京大法学部教授会を分断するため,滝川,佐々木惣一,宮本英雄,末川博,森口繁治,宮本英脩の6教授のみを免官とした(宮本英脩は復帰)。この処分に抗議して恒藤恭,田村徳治両教授と助教授4名,講師・助手・副手8名は辞意を貫き,法学部スタッフの3分の2が失われた。こうして抗議の姿勢を崩さなかった大学人は学問の自由,大学の自治擁護の輝かしい伝統をつくりあげた。他の教授は文部省の説得をうけいれて辞表を撤回した。その後学内の学生組織が解散を命じられるなど自主的な運動が抑圧された。この事件は,思想弾圧が社会主義思想抑圧から自由主義思想抑圧まで一気に拡大される出発点となった。また政府が勝利したことによって,学問の自由,大学の自治は失われた。以後自由主義思想や学問の自由,大学の自治に対する攻撃は強まり,35年の天皇機関説事件,37年の矢内原事件,39年の河合事件などを生むことになる。
執筆者:吉見 義明
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沢柳事件を契機に,1914年(大正3)以来確認されていた教授会自治(日本)の慣例が,研究発表の自由とともに干渉を受けた事件。京都帝国大学法学部教授の滝川幸辰の1932年(昭和7)の中央大学での講演が無政府主義的内容をもっていたとの報告を,中央大学法学部長でもあった検事総長から法相経由で鳩山一郎文相が受けていた矢先に,33年の衆議院・貴族院の両議会で赤化教官の一人として滝川が糾弾され,『刑法読本』『刑法講義』は発禁処分となった。ここに及び,文部省は滝川の休職処分を小西重直総長の拒否を顧みず,教授の進退は総長の具状によるとする総長の具状権をもないがしろにする形で断行した。これに反発した法学部教授会は学問の自由と大学の自治を再確認し,滝川復職を求めて在外研究中の教員を除く全教員が辞表を提出し,小西も総長を辞任。後任総長松井元興の下で,辞表提出教官のうち学問の自由擁護の強硬派5教授が滝川とともに免官され,自主退職を含め当時の法学部全教官33人中21人が辞職した。
著者: 岩田弘三
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1933年(昭和8)の滝川幸辰(ゆきとき)京大教授処分事件。前年末の中央大学での講演を貴族院議員菊池武夫が赤化思想として議会で攻撃,鳩山一郎文相も著書「刑法読本」を客観主義刑法理論と非難,同教授の辞職または休職を要求した。小西重直(しげなお)京大総長および法学部教授会は処分を拒否したが,文官高等分限委員会が休職を決定,法学部教官は全員辞表を提出,総長は辞任。後任の松井元興総長は滝川ら6教授の辞表を文相に提出し,新解決案を協議,結局7教授・5助教授などが辞職した。このとき他学部の教授会は静観,他大学の教授会も動かなかった。法学部学生はじめ京大学生・東大学生も反対運動を展開したが,夏休みとともに沈静化した。
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…同年経済学部,23年農学部を新設し,化学研究所,人文科学研究所,工学研究所などを付置して研究教育体制を整備していった。東京帝大が官僚養成機関の性格を強くもったのに対して,京都帝大は,狩野亨吉が初代学長となった文科大学(文学部)が哲学,史学,文学の3学科制をとり,いわゆる支那学を重視したり,史学地理学講座を設けるなど学科・講座組織に特色をもち,自由闊達で創造的な〈京都学風〉を形成したこと,沢柳事件(1913)で教官任免に関する学部教授会の慣行的自治権や実質的な総長互選制を実現したこと,さらに滝川事件(1933)でもファシズムと戦争勢力に対して全学的な抵抗運動を展開するなど,近代日本の学問形成と大学自治の歴史に特筆すべき位置を占めている。49年に新制大学に改編され,旧制第三高等学校と付属医学専門部を併合し,また教育学部を新設した。…
…そのなかで1934年11月結成された全評(日本労働組合全国評議会)が組織目標に〈ファッショ,社会ファッショ反対〉を掲げ,37年まで反ファシズム運動を進めたことが注目されよう。 知識人の動きは,1933年4月の滝川事件に際して結成された大学自由擁護連盟,ナチスの焚書に対する抗議を契機に同年7月結成された反ナチス団体ともいえる学芸自由同盟(長谷川如是閑,徳田秋声,秋田雨雀,三木清ら)に示された。共に長くは続かなかったが,コミュニストや社会主義者よりもリベラル派が中心に結集した広範なグループで,明確な反ファシズム運動を形成した。…
※「滝川事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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