地球外の知的生命体の総称。ナスカの平原画のようななぞの多い遺跡を根拠として,彼らが太古の地球を訪れたことがあると主張する学者もあるし,現代の地球へも来ていると主張する人もいる。一般にUFO(未確認飛行物体)とされているものは宇宙人の乗物であるといわれているが,今のところこうした考え方に対しては否定的な意見が強い。しかし,宇宙に知的生物が存在することの理論上の可能性については肯定論も多く,宇宙からの電波を受信しようというオズマ計画やボエジャー宇宙船によるメッセージの打上げのようなコンタクト(接触)へのささやかな努力が続けられている。
日本の《竹取物語》のような月人伝説は世界中にみられ,物語に登場する宇宙人の歴史も古い。シラノ・ド・ベルジュラックの《月と太陽諸国の滑稽譚》(1657,62)にも太陽系諸星の住人が登場するが,この時代まではむしろ風刺のための道具として扱われることが多かった。フランスの学者フォントネルが《世界の多数性》(1686)において,他の惑星にも生命が存在しうると論じ,天体観測の進歩とともに,宇宙人への関心は少しずつ高くなっていった。1835年に新聞《ニューヨーク・サン》が大望遠鏡による月人観測のうそ記事を掲載して大騒ぎとなり,77年にG.V.スキャパレリが火星の筋模様を発見し,P.ローエルが《火星》(1895)という本でそれを運河であると主張してからは宇宙人の存在に関する議論が絶えることはなくなった。それも長い間火星人に関心が集中し,H.G.ウェルズが《宇宙戦争》(1898)において,重力と酸素量の関係で〈タコ型〉の火星人を想像してからは,この形の宇宙人が人々に親しまれるようになった。やがて,火星に知的生物が存在しえないことがわかると,遠い恒星系の惑星に関心が移り,宇宙人の想像図も多様をきわめるものとなった。ワインボウムS.G.Weinbaumの《火星のオデッセイ》(1934)は異なった環境の生物がまったく異なった思考をするという幾つかのモデルを作って,のちのSFに大きな影響を残した。それらの中には炭素のかわりにケイ(珪)素を主成分とし,砂を食べて砂に戻るような異色の生物も含まれており,それが知的生物であるのかどうかついにわからないまま物語は終わる。はたしてどういう生物を知的と認めるかという問題はその後のSFの重要なテーマとなっており,A.C.クラークは,《幼年期の終り》(1953)において,現代人が宇宙文明の中でまだ知的存在に達していないという,思い切った推論を展開した。またオールディスB.W.Aldissは《暗い光年》(1964)で,異なった知性への無理解が生み出す悲劇を扱っており,宇宙人の問題は知性をどうとらえるかという形而上学に発展している。しかし映画では完全な殺戮(さつりく)魔か徹底した親善使節かという単純明快な二つのタイプの宇宙人が横行しがちで,一般に宇宙人といえば恐怖の対象か救世主への願望かどちらかを意味することが多い。
→SF →UFO
執筆者:山野 浩一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
地球以外の他の天体に存在すると想定した、人類と同じような知能をもった生命体をいう。その存在は科学的にはまだ実証されていないが、SFなどには盛んに登場する。
宇宙人の発想には二つの流れがある。その一つは、テレパシーや心霊現象や未確認飛行物体騒動とつながる荒唐無稽(むけい)な宇宙人のイメージである。この源流としては18世紀の思想家E・スウェーデンボリがあげられる。彼は晩年に、太陽系内の他の惑星に住む宇宙人との心霊的交流、飛来を主張し、その信者は教会をつくり、今日なお存続している。もう一つの発想は、現代の天体物理学と生命起源・進化論とを総括して基礎に置き、異星の惑星上にも生命発生と生命進化の結果としての知能生物の存在を確信するものである。生命は高温プラズマの恒星表面や、極低温の宇宙空間では発生しえないから、宇宙人が存在するとすれば惑星表面であろうと考えられ、多数の天文学者はその存在を信じている。そしてその存在を実証する方法として、宇宙人と地球人との交流・交信が取り上げられた。電波天文学の目覚ましい発達は、現在の地球人の技術水準でも宇宙のはるかかなたまでの交信を可能にし、このことが宇宙人の存在とそれとの交信を学界でも真剣な研究テーマとして取り上げさせることになった。この試みは現在も各地で実行されている。宇宙人の研究の歴史は、望遠鏡発明のころには広く受け入れられ、その後、天文学の発達により否定論が盛んになり、第二次世界大戦後ふたたび復活したといえる。
宇宙人は特別に魅力のある存在である。天文学の進歩により、宇宙にある諸天体とその状況は解明されてきたが、それだけでは一般大衆の宇宙に対する知的関心を喚起するには十分とはいえない。しかしそこに人類と似た知能生物(宇宙人)がいるとなれば、一般大衆に与える衝撃は大きい。たとえば天動説から地動説への転換という事例をとってみると、学界ではすでにその転換が終わっていた地動説が一般大衆に浸透したのは、1686年にフランスのフォントネルが『世界の多数性に関する対話』Entretiens sur la Pluralité des Mondesにおいて、地球外の各惑星に宇宙人を配置して多くの読者に興味深く新しい宇宙像を説得してからのことである。
宇宙人の姿や形は非常に興味のあるところであるが、生命の存在しうる異星の惑星の環境条件は地球に似ているはずであり、したがって宇宙人の姿や形も本質的には人類と大きく異なっているとは思われない。
[横尾広光]
…その製作を知ったB級映画専門のリッパート・プロが3週間で撮り上げ,ひと足お先に封切った便乗映画《火星探険》も,わずか9万4000ドルの製作費で100万ドルの興収を上げた。これが口火となって各社こぞってSFに取り組み,RKOが恐怖の侵略型宇宙人(インベーダー)物《遊星よりの物体X》(1951),フォックスが核戦争の愚かさをさとす友好型宇宙人物《地球の静止する日》(1951),モノグラムが二色方式シネカラーによる安手の宇宙物《火星超特急》(1951),パラマウントがG.パル製作のテクニカラー特撮による破滅物《地球最後の日》(1951)を作り,いずれもヒット。53年には年間27本の長編が作られるに至った。…
※「宇宙人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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