青方氏(読み)あおかたうじ

改訂新版 世界大百科事典 「青方氏」の意味・わかりやすい解説

青方氏 (あおかたうじ)

肥前国松浦郡青方(現長崎県南松浦郡新上五島町,旧上五島町)を本拠とした中世豪族。藤原姓。玄城房尋覚始祖とする。尋覚ははじめ東大寺の僧であったが,母が肥前国宇野御厨内小値賀島(現,長崎県北松浦郡小値賀町)の本領主清原是包の妹であった所縁から平安時代末に肥前国五島に来住,是包より小値賀島と浦部島(旧上五島町の中通島)を譲られ,この地に土着した。その後,建久7年(1196)7月12日前右大将家政所下文によって,小値賀島地頭職に補任され,鎌倉御家人となった。尋覚の次男家高は浦部島の下沙汰職となり,はじめて青方氏と号した。モンゴル合戦の勲功の賞として,肥前国神崎荘の配分を受けた。南北朝時代には松浦一族と称し,しばしば一揆契諾状を結び,足利氏支持勢力として活躍した。戦国時代五島氏の家臣となり,一時太田氏を名のったが,青方の旧領を安堵され,青方姓に復した。江戸時代は五島藩家老職も務めた。青方氏関係の中世文書約430通が伝来し,現在は長崎県立図書館に所蔵され,《史料纂集》に〈青方文書〉一,二として所収。松浦党関係史料の中では,質,量ともに最も豊富な内容を有しており,鎌倉時代における所領相論,南北朝時代における国人一揆や惣的一揆,漁業関係史料などが注目される。なお旧上五島町の青方家には,幕末に作成された〈青方家譜〉2冊が所蔵されており,この中にすでに原本が失われている文書も引用されている。
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百科事典マイペディア 「青方氏」の意味・わかりやすい解説

青方氏【あおかたうじ】

肥前(ひぜん)国松浦(まつら)郡を本拠とした中世の豪族。平安時代末に母の縁でこの地に土着した奈良東大寺僧尋覚を始祖とする。鎌倉時代に幕府御家人となって青方氏を名乗る。南北朝時代には松浦一族と称してしばしば一揆契約を結んだ。江戸時代には五島(ごとう)藩士となる。鎌倉〜室町時代の《青方文書》は国人一揆・漁業関連など松浦党関係史料中で最もすぐれた内容を有する。→宇野御厨
→関連項目松浦氏

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「青方氏」の意味・わかりやすい解説

青方氏
あおかたうじ

肥前国五島(ごとう)の中の浦部(うらべ)島(現、中通島)青方(現、長崎県南松浦郡新上五島町青方郷(あおかたごう))を本貫地(ほんがんち)とする藤原姓の在地土豪。青方氏は平安時代以来、この地に居住した開発領主(かいほつりょうしゅ)の子孫で、長崎県立長崎図書館に所蔵されている465通に及ぶ鎌倉時代から戦国時代に至る「青方文書」と、江戸時代末に編纂された「青方家譜」2冊によって、青方氏の歴史を詳細に知ることができる。鎌倉幕府によってこの地の地頭職(じとうしき)を安堵(あんど)されて、鎌倉御家人となり、南北朝時代には松浦党(まつらとう)の一員となり、しばしば国人一揆(こくじんいっき)や惣的(そうてき)結合を結んでいる。江戸時代には近世大名五島氏(福江藩)の家臣となり、幕末にはその家老にも任命されている。

[瀬野精一郎]

『瀬野精一郎編『青方文書1、2』(1975、1976・続群書類従完成会)』『瀬野精一郎著『鎮西御家人の研究』(1975・吉川弘文館)』『瀬野精一郎著『松浦党研究とその軌跡』(2010・青史出版)』

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