改訂新版 世界大百科事典 「安寿厨子王」の意味・わかりやすい解説
安寿・厨子王 (あんじゅずしおう)
説経《山荘太夫(さんしようだゆう)》に出てくる姉弟の名。奥州54郡の主,岩城判官正氏は帝の勘気をこうむり,筑紫国安楽寺に流される。その子安寿,厨子王は父を慕いまた失われた領地を回復するため,母や乳母とともに京へ向かう。途中越後国直江津で人買いの山岡太夫にだまされ,母は蝦夷へ,姉弟は丹後由良の山荘太夫のところへ売られる。奴隷として姉は潮くみ,弟はしば刈りに従い酷使される。姉は弟を逃がすためにひとりとどまり,火責め水責めの刑にあって死ぬ。国分寺にのがれた弟は聖(ひじり)の助力や金焼(かなやぎ)地蔵の霊験によって危機をのがれ,後に摂津国天王寺に入って茶の給仕役となる。稚児選びの席で都の梅津院の目にとまり養子となり,帝より所領を安堵される。父や母との再会を喜ぶ一方で,姉の死を悼む弟は,山荘太夫を鋸引きの極刑に処し,丹後国に金焼地蔵を安置してその霊を弔う。現在も京都府丹後由良や直江津には安寿と厨子王の伝説と遺跡を数多く残しており,津軽には岩木山の神体を安寿姫とする《お岩木様一代記》という語り物があって盲目のイタコが語っていた。弘前の津軽藩の菩提寺長勝寺には境内の一隅に蒼竜寺という座禅堂があり,その中に花御堂という厨子堂(桃山時代作)があって岩木山三所権現の本地仏(阿弥陀,薬師,観音)をまつるが,その左右に安寿と厨子王の古像が美しく彩色されて安置されている。津軽と安寿・厨子王伝説との深いつながりをしのばせるものがある。
→山荘太夫
執筆者:岩崎 武夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報